井出洋介語る【特別編】馬場裕一さんとの思い出 「僕たちがずっと一緒に活動していたら麻雀の世界は違うものになっていただろう」
馬場さんは僕のことをキライだったのかな、と思う
馬場裕一さんが亡くなられた。(7月28日)
2021年ごろからガンを患っていることは聞いており、かなり具合が悪いことは知っていたが、まだ65歳だから若過ぎる。
馬場さんとは、そもそもは古い付き合いなのだが、途中で僕たちが行く道は違ってしまい、近年はまったく会うこともなかった。
馬場さんの思い出を書こうとして、いろいろなことを思い出してみると、あらためて考えることがある。僕と馬場さんの関係がもっと良好で一緒に活動していたら、麻雀プロの世界は現在とはまた違ったものになっていただろうということだ。
でも、そうはならなかった。ひとことで言えば、僕は馬場さんに嫌われていたんだろうなと思う。
初対面の時、馬場さんは高校生で僕が大学生。麻雀が大好きだった2人の少年がそれぞれどのように「麻雀プロ」としての道を生きて来たか、僕にしか書けない部分も含めてここに書こうと思う。
古川凱章さんの順位戦で知り合いともに若獅子戦へ
僕が競技麻雀を志し、初めて古川凱章さんが主宰する「年間順位戦」を訪れたのは1976年の3月。東大の学生の時だ。
それから数か月の間に、まだ立教高校生だった馬場裕一さんがやってきた。そこには安藤満さん、久保谷寛さん、高見沢治幸さんたちもいて、みんなが真剣に麻雀を打って切磋琢磨していた。
僕はその中で若い部類だったけど、僕よりも4学年も若いのが馬場さんだった。
その後、久保谷さんを中心に渋谷で「若獅子戦」という競技麻雀サークルができて、そこでも一緒に打った。何年も打つうちに僕は東大の5年生(留年)に、馬場さんは高校を卒業して立教大学の学生になっていた。
若獅子戦には僕と馬場さん以外に高見沢さん、ロッキー堀江さん、森山茂和さん、伊藤優孝さんなどもいた。若獅子戦で成績の良い人は、最高位戦のBリーグ予選に出場できるようになっていたから、みんな真剣に打っていた。
若獅子戦に入ってすぐの頃の馬場さんの成績はあまりよくなかったけど、その後、急成長して僕よりも先に最高位戦Bリーグ予選を通過して最高位戦リーグ選手になっていた。
馬場さんは僕をいろいろ困らせた
僕もその後、最高位戦のリーグ選手となり、名人戦で勝ち、最高位戦の代表になり、第19期最高位もなった。その間、打ち手としての馬場さんは特に目立った活躍をしていない。昇級もしていない。どちらかといえば、馬場さんは竹書房(近代麻雀)の周辺で仕事をしていた人というイメージだ。
僕が代表のとき、先輩の大隈さんや狩野さんの助言もあって、対局時にネクタイを着用することを決めたのだが、馬場さんはこれに反発していた。
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