井出洋介語る25「人は麻雀によって変われる」
子供の頃は細かいことにくよくよしていた
今回は、麻雀によって僕という人間が変わった、という話をしようと思う。
僕は、子供の頃は細かいことに結構くよくよしていた。小学生の頃から、新聞などを読んでなまじいろんな情報を持つと、少し頭が痛いと「脳腫瘍じゃないだろうか」とか、少し膝が痛いと「骨肉腫じゃないだろうか」などと心配したものだ。
日常生活で失敗することがあったときも、しなきゃよかったと後悔して、まったく楽観主義ではなかった。
それが、次第に変化していった。
僕が楽観主義になったのは、高校生から東大に入学したころ頃からだったと思う。
中学生くらいまではろくに勉強をしなくても学校の成績が良かった。高1のときはそれまでの貯金もあったのだろう、それほど低下はなかった。
初めて壁にぶつかったのは高2になってからだ。数ⅡBとか漢文とか物理とか、それまでやったことのない分野で何もやらなかったら、それまで取ったことのないような低い点数になり、成績は急降下した。
当時の僕は音楽と麻雀ばかりしていて、「勉強なんかいいや」と思っていた。
東大合格で「僕の思い通りになるんだ」と自信を持つ
ところが高2の後半になり、やっぱり大学を目指すことになる。
将来、何をするかを決めるための時間として、大学の4年間も悪くないと思ったからだ。塾などには行かないで、どこでもいいから受かったところに入ろうと思っていたのだが、周囲で東大を目指す人が多い環境の中、どうせなら東大も受けてやろう、授業料も安いし、受かったら親孝行にもなるんだから、と考えた。
とにかく学校の授業だけはちゃんと受けることにした。そして、成績が急上昇し、担任の先生からも東大受験を勧められるまでになった。
僕が高3の年は昭和48年(1973年)で、その年、大好きな巨人軍が苦戦の末、V9を達成した。
それが自分にとっての成功体験のように思えて、
「僕が応援しているところは最終的には勝つ。僕の人生も結構、自分の思い通りになっている」
という不思議な自信を持った。
そして翌年の3月、東大に合格した。
大学での人生観の変化と競技マージャンとの出会い
東大に入ってからもバンド活動は続けていた。
主にロックで、ギターやキーボードをやっていた。縁があって杉並児童合唱団のバックバンドを務めるようになり、いろいろな活動をする中で、自分にも音楽の才能があり、頑張ったらそこそこできるのではないかということは感じていた。
でも、演奏はできてもクリエイティブな部分は無理だとも思っていた。ビートルズの曲を演奏しながら「これを自分で作るのは無理だ」と思い、それ以上クリエイティブな方向の努力はしなかった。努力する前にあきらめてしまったのだ。
それでも自分で楽しむことはずっと続けていて、今でもバンド活動は続いている。
東大ではまだ学生運動が残っていた時期で、いろいろな思想を話し合った。知り合いが自殺したり、内ゲバで殺されたり大ケガをする中で、人生観が変わってきた。
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