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【無料記事】輪島のプロ雀士①僕はここで麻雀を覚えた【庄田ボーイ】

 2024年1月1日、元旦。

 コタツに入りながら美味しいご飯を食べていた僕たちは数分後、血だらけになって山の上へ逃げてきた。
 見えた世界はまさに地獄。
 僕は映画の世界に迷い込んでしまったような、妙な感覚に陥った。
 山の上から見た輪島は、僕が生まれ育った町とは思えないほど、変わり果ててしまっていた。

 僕が生まれた石川県輪島市は観光地ではあるものの人口二万人の小さな町。
 そこに小さな小さなゲームセンターがあった。
 最新式のゲームなど置いてあるはずもなく、あるのはいくつかのボタンとレバーを使って対戦する格闘ゲームや少しのメダルゲーム、時代の去ったアニメキャラクターが景品のUFOキャッチャー。

 僕の住む町は皆さんにとっての普通の光景がない。スタバなんてないし、牛丼チェーン店もない。マクドナルドもない。映画館もない。電車も走ってない。コンビニはファミリーマートだけ。なにがあるのか聞かれた時に答えるのは、海と山と田んぼ。
 だからこんなに小さなゲームセンターでも1日楽しめた。ゲームを見ているだけでも楽しかった。
 ある日、メダル購入機に千円札を入れたじぃちゃんはメダルを持ってきて、あるゲーム機に座った。
 それが「麻雀ゲーム」だった。
 CPUとの1対1の麻雀で、役の高いアガりで勝てばメダルを多く貰える。
 じぃちゃんの背中でずっと見ていた僕は次第にルールを覚え始めた。自分1人でもそのゲームをやるようになったが、限られたお小遣いのなか、負けたらメダルが無くなってしまう。どうしたら勝てるようになるのか必死で研究した。
 それが「プロ雀士」との出会いだった。

 家に帰り、YouTubeで「麻雀」と検索した。
 色々な動画が出てきたが、とりあえず派手なものがみたくなった。
 たくさんの動画が出てきたが、適当にクリックしてみた。
 そこには実況アナウンサー、解説、そしてプロらしき4人の選手が黙々と麻雀を打っていた。
「なんだこれは?」
 中学生の僕には到底興味が湧かなかった。
 一打目に真ん中の牌を切り、二打三打と同じような打牌を繰り返す。
「勉強にならないじゃん」
 そう思った
 その後もなんとなくその動画を見ていると実況アナウンサーが興奮してきている。
 解説のおじさんも明らかに口調が変わっていく。
「くるのか!?山にあるのか!?」

 「ツモ」
 開けられた手は「国士無双」と呼ばれる役満だった。
 国士無双を決めたプロは大逆転で優勝を果たした。
 耳が痛くなるほど叫んでいる実況と解説
 それに反してクールな麻雀プロ。
 全身の鳥肌がたった。
「これだ」
 僕の心が動いた。一瞬にしてこれが夢になった。
 「この舞台で麻雀を打ってみたい」
 そう思った。
 学校が終わればゲームセンターに通って麻雀ゲームをした。何度やっても国士無双が作れない。
 家に帰ってプロ雀士の動画をこれでもかというくらい見た。
 そこにいたのは瀬戸熊直樹さんや滝沢和典さん、佐々木寿人さん、二階堂瑠美さん亜樹さん、今もなお麻雀界でトップを走り続けている人たちだった。

 地元の麻雀文化は僕を中心にすぐに広まった。
 毎週金曜日の夜になると、友達7人が僕の家に集まり、手積み卓2卓で朝まで麻雀。
 どうみても自分の山に大三元を積み込んでいる友達。負けて怒って途中で家に帰る友達。どれも良い思い出だ。そんな生活が続いた。
 ある日、いつも通り学校に行くと校内放送が鳴った。生活指導の先生の声だった。
「2年庄田君、職員室まで」
 職員室に行くと、生活指導の先生の他に担任の先生と複数の先生がいた
「中学生が夜な夜な麻雀をしていると町の人から学校に通報が入った」
 めちゃくちゃ怒られた。
学校から家族にも電話された。
 僕はこれまで特にヤンチャな訳でもなく、勉強はしないが至って真面目で人から怒られないように生きてきた。
 僕の1番の趣味、そして「夢」だった麻雀は、これほどまでに世間から嫌われているものなのか?
 中学生が遊んではいけないものなのか?
 僕の夢「プロ雀士」が、足元で踏みつぶされている。
 そんな気持ちだった。
 時は経ち、高校に入学した。
 地元の学校は受験こそあるものの、小学校・中学校・高校とほぼみんなエスカレーターのように同じ学校だった。
 サッカー部に入部したがほとんど部活には参加せず、パソコンで麻雀ゲームをやっていた。
 「ロン2(現龍龍)」という、日本プロ麻雀連盟のオンライン麻雀ゲームの存在を知った。
 僕が動画で見ていたプロ雀士と対戦ができる
 僕にとっての居場所だった。
 勉強も部活もろくにせず、学校から帰るとロン2をプレイした。
 高校卒業前、進路希望調査があった。
 その紙には「プロ雀士」と書いて提出した。
 地元の友達の中では間違いなく1番強かったし、格好つけたかったのかもしれない。
 担任の先生、母親、僕の三者面談でその話になった。
 当時、母親の思っていた麻雀界のイメージは「とにかく怖い」「ギャンブル」。
 「そんなところに行って、将来まともに生きていけないでしょ?ふざけないで、目覚まして!」
 担任の前で母親が泣きながら僕に訴えた。
 「お母さんまでも俺の夢をふみにじるのか」
 許せなかった。麻雀を嫌う人たちが憎くてたまらなかった。
 家に帰ってから何度も何度もケンカした。

 「飯なんかいらんわ!」

 そう言って家を出てゲームセンターで麻雀ゲームをした。めちゃくちゃ負けてメダルは無くなるし、バイトをしていない僕は追加のメダルを買うお金も無かった。そしてとにかく、腹が減って減ってしょうがなかった。
 僕はそれぐらいバカだった。

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