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魔神の父のМリーグ観戦記 2022年11月25日

卒業祝いのプレゼント

 息子(渋川)が18歳の3月、私は高校卒業祝いを何にしようかと悩んでいた。だいたい私が贈る物は不評で、渋川はこんな手記を書いたこともあった。

僕の誕生日に父さんはプレゼントだと言って、何とマラカスを持ってきた。

僕「これ、どうすれば良いの?」

父「うーん、壁にでも飾っておけば良いんじゃないか」

もう無茶苦茶だ。

 この反省から考えた結果、私の出した結論は「フリー雀荘体験」のプレゼントであった。
 私は、彼が高校卒業後もフリー雀荘の門を叩くことはないと勝手に想像していた。
 ならば、一生に一度の思い出として、彼の好きな麻雀漫画「スーパーヅガン」や「天牌」に頻繁に登場するフリー雀荘に連れて行ってやろうと考えたのだ。
 雀荘に行き「同卓でお願いします」と言う。
 メンバーさんは我々をどういう関係だと思ったのかな。
 まさか親子だとは思うまいが・・。
 しかしとにかく彼は喜んだ。
 私のプレゼントで一番成功だったのではないか。
 ただ「一生に一度」にはならなかったのである・・・・・・。

 それから18年後、その雀荘が先週40年近くの歴史を閉じた。
 コロナ禍や大手チェーン店の進出が原因だという。
 最後の一週間は、これまでの常連さんで賑わった。
 その懐かしい雰囲気の中で、誰もが寂しさを感じていた。
 私はドキドキしながら初めて店の扉を開けて以来の40年を思い出していた。
 いつも当たり前にあるはずのものが無くなる。
 こんな思いは十数年前、妻が家族写真を撮ろうと言った時以来だ。
 私はなぜ?と驚いた。
 娘も県外に出てこれからは4人が揃うことはめったにないからだという。
 そんな馬鹿なと思ったが、でもその通りだった。

 この店ではたくさんの人たちと知り合いになった。
 でも一番心に残っているのはメンバーさん達。
 たくさんのメンバーさんがやってきては去って行った。
 本当に素晴らしい人が多かった。
 雀荘のメンバーってそんじょそこらじゃ務まらない。
 だって色んな客が居る。
 「この雀荘、配牌もツモも最悪、何とかしろ!」なんてのはまだ御愛敬。
 ちょっとあがれなくなると「コーヒーがまずい」「オマエの顔が悪い」などメンバーさんに当たり散らす。(この店の話ではないが)挙げ句の果て「何じゃ!そのアガリは!」と怒鳴って卓をひっくり返した奴も居た。
 こうした諸々にきちんと対応しなければならないわけだ。
 15年前渋川が「麻雀プロに成りたい」と言ってきたとき大反対した理由は、麻雀プロで食えるなんてほんの一握りだということもあったが、それ以外にプロ志望の若者が経験するべきメンバーという仕事に彼が耐えられるとは思えなかったからでもあった。
 そう思ったのは私だけでなく、店長やメンバーさんも同意見であったのだ。
 しかし彼は上京。
 メンバーになって早速「泣きの電話」が入ってきた。
 そうだろそうだろ。
 ただそこから彼は名前通りのしぶとさをみせる・・・・。だがこれはまた別の話である。

11月25日(金)の試合

 25日、このお店の関係者と一杯飲みながら、こんな話あんな話、この40年間の色んな出来事を肴に盛り上がっていた。
 とても良い会だった。
 今回のМリーグの渋川の試合の東1局を観戦したのは、その帰りの電車の中であった。

東城さんハネマンツモ談義

 東4局。東城さんの大きなあがりが出る。
 12巡目、東城さんはこの手牌。

 ここからドラの2mを切って闇テン。
 白鳥さん8m手出し。萩原さん8mツモ切り。渋川8m手出し。
 そして東条さんは7sツモ切りでリーチと出る。

 するとなんと5pを一発ツモ。裏ドラ1枚でハネ満のあがりとなったのだ。 

 この局については色々と考えさせられるところがあるが、ちょうど次の日私の知り合いの若者二人とこの局について語った。

若者A「東城さんってすごい勘の持ち主ですよね。2p5p待ちのリーチであのタイミングじゃなけりゃ、一発ツモのハネ満にならないんですからねえ」

「チョットマテ・チョットマテ。東城さんはあそこに5pが有るって勘で分かったというの?彼女は超能力者じゃないぞ」

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