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ドキュメントM  あっさじーんさん(45歳)

麻雀が大好きで、天鳳では鳳凰卓で打つ実力の持ち主だが、お金の管理などが苦手な中年男性。名古屋の雀荘の住み込み店員をやめ、東京に戻ってきて約5年。
最近また雀荘勤務を始めたあっさじーんさんの近況を聞いた。


麻雀が大好きだけど挙動不審

 神奈川県出身の45歳。
小学生の時は進学塾の日能研に通い、中学受験をして有名な中高一貫の男子校に入学。
大学はとにかく男女共学のところに行きたくて有名私立大学の国際学部に入ったものの、入ったとたんにやる気をなくしてすぐに勝手に退学届を提出してしまった。その時点で実家を追い出された。

その後はいろいろな仕事を転々としながら暮らしていた。30歳のときにアニメの『咲』を見たことがきっかけでネット麻雀を始め、どんどんのめり込んでいった。当時はマンションの夜間警備員の仕事をしていたが、ずっと携帯電話で麻雀をしていたという。

麻雀は大好きで、ネット麻雀の天鳳では鳳凰卓を打つ実力者なのだが、リアルの麻雀では挙動不審な動きが多い。
打っている最中、自分の手番で急に勝手にあたふたと慌てだし、「あ、いや、こりゃ」「すみません、すみません」と言いながら長考したりする。
同卓している側は何を謝罪されているのかわからないまま、待つことしかできない。
そして、そんなに時間を使って長考しながら打っているのに、ノーテンリーチやチョンボが人並み外れて多い。

しかし、本人全く悪気がなく、その都度その都度猛烈に反省してまた「すみません、すみません」と謝るせいか、あっさじーんさんを嫌う人はあまりいないようだ。
なんとも、不思議なキャラクターである。

あっさじーんさんは自分の生活や行動、経済状況などをSNSに頻繁に投稿しているので、麻雀界隈ではちょっとした有名人になり、その流れでこのキンマでも過去にインタビューを行ったところ、好評だった。

特に何をしているというわけでもない。ただ毎日、「お金がない」と言いながら麻雀をやめられなくて、ほそぼそと仕事をしながらフリーやセットを打ち続けているだけだ。しかし、その行動が、なぜか何とも言えずおもしろい。

このたび、キンマ編集長の金本さんが「あっさじーんさん、どうしてますかね? 近況を聞きたいな」と言ったので、竹書房に来てもらって取材を行った。

これまで、金本編集長も筆者も、「あっさじーんさんはいつも貧乏」というイメージを抱いていたのだが、時系列に沿って話を聞くうちに、その思い込みを覆す話も聞けたので、ご紹介したい。

名古屋の雀荘の住み込み店員時代

7年ほど前、あっさじーんさんが「住み込みの裏メン」という、ちょっと珍しい働き方をしていたのは、名古屋の「プレイボール」という雀荘だ。ここは、やはりこのコーナーに登場していただいたことのある高田まさひろさんが経営していたフリー雀荘で、今はもうない。

当時のあっさじーんさんは、老人ホームの夜勤の仕事していたのだがクビになり、経済的に苦しくなってしまった。あっさじーんさんは当時をこう振り返る。

「消費者金融でお金を借りていて、その限度額いっぱいのところまで来ていました。家賃の心配までしないといけない状況だったんですけど、名古屋の雀荘で住み込みの店員を募集していると聞いて応募しました」

店員と言ってもいわゆる「裏メン」。
普通の店員のように掃除やドリンクのサービスはしないで、ただ麻雀を打つだけの仕事だ。
麻雀だけは腕に覚えがあるあっさじーんさんは、店舗の2階の部屋に寝泊まりしながら、プレイボールで働き始めた。その部屋はほとんど物置のような状態で窓にはカーテンもなく、夜に電気を付けたら外から丸見え。
プライバシーはまったくない状況だったが、とにかく毎日麻雀を打っていればいいという生活は、向いていたようだ。

しかし、その間も麻雀は勝ったり負けたり、休みの日や空いた時間は他の店舗に麻雀を打ちに行ってしまい、なかなか借金が減らない。

借金の利息を返すために新しく借金をすることをくり返す、いわゆる「天井張り付き」になって有名な消費者金融ではいよいよ借りられなくなったので、「店舗に来た人にしか貸さない」という特殊な店で借りることにした。

「その店舗が東京にあったので、名古屋から一番安い夜行バスに乗って東京に借金しに行きました。何とか10万円くらい借りたんですけど、それを持って東京の系列店の『プレイボール』に麻雀を打ちに行ってしまいました。そこで天鳳位のヨーテル君にばったり会って、『名古屋で働いてるはずなのになぜここに?』と言われたんですけど、ごまかしました。あ、そこでの麻雀は負けました」

せっかく交通費を使って金を借りても、帰宅するときにはもう目減りしている。これでは経済状態がよくならなくても当然だ。

そんな生活は2か月しか続かず、雀荘「プレイボール」自体が閉店することになり、あっさじーんさんは関東に戻ることになった。

最後の夜は当然のように名古屋でフリー雀荘で打ち、夜行バスで東京に降り立った時の所持金は数百円だった。

『あっ! 盗まれた!』と声が出ましたけど自分で使っただけでした。

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