麻雀を覚えたのは小2。麻雀やるヤツは全員僕を知っている麻雀番長だった。【猿川真寿ヒストリー】
麻雀プロがどのようにして麻雀と出会い、今日に至ったのかを振り返ってもらう「麻雀遊戯ヒストリー」。今回は、Mリーグ・BEAST Japanextで活躍する猿川真寿が登場。幼少期から麻雀に明け暮れた男の夢と結婚、その先に広がっていた世界とは。
(初出youtube「麻雀遊戯王」)
前編:https://www.youtube.com/watch?v=N9mhxEgGzTU
後編:https://www.youtube.com/watch?v=ZIu5dkGiLQ4
――今回年表を書いていただくのは、猿川真寿プロです。
猿川 よろしくお願いします。
――今までMつくとかで猿川さんの名前が出ていて、やっぱり猿川さんの実力は折り紙付きだと。ただそれ以上に、猿川さんの性格が大丈夫かなという声も滝沢さんをメインにありまして、Mリーガーになったのに猿川さんが何かしないかな、みたいなことを結構言われてたんですよね。
――でも、今書かれているnoteとかも好評だし、面白いじゃないですか。
猿川 あれも内容的にはギリギリですけどね。
――そういった猿川さんのキャラクターが面白いというのはみなさんもご存知だと思うんですが、どれくらいそういうことを言う方なのかとか、やっぱりいろんなパーソナルを知りたい人がたくさんいると思うので、まずは猿川さんがどういう方なのか、人生年表を書いて教えていただこうということでヒストリーを書いていただこうと思います。
猿川 結構、普通ですね。僕、0歳から保育園に通っているんですけど、生まれてすぐに。結構おとなしい感じでしたね。家は貧乏でしたね。共働きで、0歳から預けられて普通に卒業をして、静岡県の田舎のほうなんで、小学校と中学校で9年間みんな一緒みたいな。
で、麻雀覚えた年、1987年くらいかな。小2のときに家に麻雀の入門書が転がってて。5個上の兄さんがいるんですけど、兄が中1の時に麻雀を覚えようとして、置いてあったんですよ。
それで兄さんとかと遊びたいみたいな感じで入門書見て、1日1個役を覚えていって、1ヶ月ちょっとくらいですかね。役は小2のときに覚えて、家族ともう1人で麻雀をやるようになった。
今度は中1のときに、毎日遊んでいるようなすごく仲のいい連れがいて、そいつの家に麻雀の本があって、それを借りて点数計算を覚えるんですね。点数計算が苦手とか覚えられないとかっていう人いますけど、向き不向きはあると思うけど、そんなに難しく考えなければできるんじゃないかな。
で、中学から家でやる麻雀になって。小学校のときはメンツがいなかったんですよね、できるやつが少なかったんで、小中の時の卒業文集で、他の人の文集に最後に何か書くじゃないですか。たとえば「ありがとう、猿川」みたいに。あれがだいたい「麻雀何々」って。
中学の時は「今まで打った中で一番強いと思った」みたいな。中学のとき部活がない人が毎日家に来ていて、家が結構たまり場だったんで、メンツは困ることなく。上は1つ上、下は2つ下まで、麻雀やるヤツは全員僕のことを知っているぐらい。
――麻雀と言えば猿川だろうと。
猿川 立ち位置確立まではいかないですけど、そこで一目置かれていて、そんなに苦労しない学校生活を送れた、みたいな感じはありますね。スポーツできるから、とかありますけど、それが麻雀でした。
中学3年のとき、好きなことを書くみたいなものに、麻雀について書いたんですよ。「麻雀ってこういうゲームで、こういう面白いことがある」みたいなのを書いたんですけど、最後に「結局は運」みたいなことを書いたら、先生に「なんで最後それにしたの?」って先生に言われて。
中学のときの夢が、麻雀荘で働くこと。知らないじゃないですか、麻雀荘のことって。資格まではいかないですけど、なるにはテストじゃないけど受けてなれるものなのか、みたいな。まあ、実際はなりたければだいたいなれるんですけど。中学のときの夢は麻雀でしたね。この頃はまだプロになりたいとかはなかったですね。
――プロの存在は知ってたんですか?
猿川 知らなかったですね。なんとなく働きたいなと。で、高校もずっと麻雀をやっていました。今度は高校に行ったら違う中学の人とかもいるから、やっぱどっちが強いか決めなきゃならないんで。
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