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極北エッセイ02「働くということ」
娘の保育園が始まった。
私はパートで仕事に出ることにした。
やはり生きていくお金は必要だ。
生活の安定はもちろん、ある程度自由に使えるお金も必要だ。
なぜだろう。
私は今まで両極端な考えしか思いつかなかった。
雇われて働くならフルタイムで仕事に出なけば。
自力で稼ぐなら、フルタイムと同じぐらい稼がなければ。
違った。真ん中を取ればいいのだ。
雇われて働くことの魅力は安定した収入だ。行けばもらえるお金は魅力的だ。
自力で稼ぐことの魅力は、得意なことを生かして効率的にお金を稼ぐことだ。
カナダに来て3年間フルタイムで働きながら子育てをした。
こんなに忙しいならカナダにいる意味がないと思った。
だから第二子の育休中に在宅の仕事に取り組んだ。
私にあるのはいつも焦りだった。
「自力でやるって言ったのだから、もっと結果を出さないと。」
「あと何ヶ月以内にいくら稼げるようにならないと。」
「絶対にあの忙しい生活には戻りたくない。」
結果、一つの事業収入で生活をカバーできるほどの稼ぎにはならなかった。
だけど、何もしなくても毎月数万円が確実に入ってくるようになった。
これが非常にありがたい。これからもコツコツと積み上げていく。
私が築き上げてきたことは無駄じゃなかった。
私は絵が描ける。発酵食品のことを伝えられる。
掃除もできる。どれも仕事になる。お金はいくらでも作れる。
誰だってできることはある。それを必要な人に届ければいい。
それだけのことだったのだ。
息子がスクールバスで帰ってきた時、私は娘と彼を迎えることができる。
息子を見つけて大はしゃぎする娘の姿、それを見てはにかむ息子。
働き方は一つじゃない。
面白くない仕事だけをし続ける必要はない。
好きなことだけで生きていく必要もない。
負担を減らしながら、収入を増やすことはできる。
忙しさに押しつぶされてしまいそうな人の負担が少しでも減りますように。