今日という日に…
仕事はお休み…
転職でバタバタしてたので、2ヶ月振りに実家に行ってきました。
帰ってからは、ワックス剥がしとワックスがけの前回の続きをしました。
と言うことで、今日は父の話を…。
父は末期癌で半年の命と言われて…3ヶ月…
私は母との関係性の悪さがあり、暫く足が向けられなかった。でも、行かなければと思い、24歳の娘に付いてきてもらい会いに行ってきました(^_^;)短い時間だったけど…。
食道癌なので、どれだけ衰弱しているか不安だったのだけど…思いの外、元気でした。
とは言え、基本寝たままですが。トイレも尿瓶で取れていて、大便はトイレまで歩いて行っているそう。ご飯もなんだかんだ変わらず食べれているとのこと。痩せ具合から見ても、そんなに衰弱していない様子でした。
父は「もう全てに飽きてきた」と言っていた。
私は父が癌の治療をしないと選択したとき、反対しなかった。
医師として生きてきた父にとって、老いていく事、特に記憶力が落ちていく事は苦痛以外の何物でもなく、辛そうであった。
80歳になった時、記憶力に自信が無くなり「患者さんに責任を果たせなくなった、申し訳ない。」と言ってクリニックを閉院した父はカッコよかった。
その後の父の姿は、それまでの威厳を全て否定される位に情けなかった。
私達兄弟姉妹は、少しでも楽しめるように、外出に誘ったりした。が一切拒否をし、自分がどれだけ辛いのかを会うたびに話し、母や子供達が話していると、「自分がこんなに辛いのに、お前達は!帰れ!もう顔を出すな!」と怒り、誰も実家に寄らなくなってしまった。
もしかしたら、人は私の事を冷たいと言うかも知れない。父を見ていて、人は死に方も選ぶ権利があると私は思った。
基本的には命ある限りは生きなければいけないと思っている。自ら命を断つことは許されないと思っている。
ただ、病に侵されたときに、何を選択するかは本人が決めるべきだと思う。何故なら、その人の人生だから…。
私は緩和ケアで3年程、人の死際に立ち合ってきた。その経験から、長く生きる事よりも、どう生きるかが人の幸せの尺度なのではないかと感じた。「死」とは悲しいけど悲しい出来事ではなく「人生の卒業」だと私は思っている。
これから父が死に向かってどう生きるかを父は迷っていた。私が、いづれ来る父の人生の終幕を考えた時、家で迎えるべきだと思い、往診と訪問看護を勧めた。
2年弱の訪問看護の経験があったので、それがベストだと思った。
コロナウィルスの影響も加味した。
最期のとき、面会に行けないなんて悲しすぎるから…。
入院はいつでも出来る。でも、一度入院してしまうと良い意味でも悪い意味でも色々な人が関わるから、なかなか退院させてもらえないのが現実だ。
地元の市民病院で先日クラスターが発生した。私の選択は間違っていないと、確信している。
子供達が会いに来ないことを寂しいと感じていない父に多少の不信感はあるし、実家の居心地の悪さも変わらないが、頑張って少しでも顔を見に行こうと思った1日。
今日は実家に行かなければ…と言うストレスのためか頭痛が酷く疲れた一日だった。
自分にお疲れさん。おやすみなさい🥱
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