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阿部智里の八咫烏シリーズに触れて3<『望月の烏』まで読了>


このシリーズを知ったのは今年の6月

見事にはまり何回も読んでいるが、この八咫烏シリーズをもっと早く手にしていたらもっと読み込み、もっと楽しめたのではないかとつくづく思う。

そう思いながらも、もう一方では、何かとせっかちな私にとって10年という時間をかけてジリジリと続きを待つよりも、この2ヶ月半で一気に既刊の小説、コミカライズ、アニメと触れることができたのはある意味幸運だったとも思える。かなり濃密な時間を過している。 

面白さの理由

面白さの理由は山のようにある。過去noteで書いたように、ストーリーに仕込まれた罠の数々もあるが、魅力的なキャラクターたちの存在を抜きにストーリーの面白さを語るわけにはいかない。 

キャラクターが魅力的なのは、阿部先生のキャラクター設計がかなり綿密に作られているからだ。脇役にスポットを当てた短編を外伝で何本も紹介しているが、名前のある登場人物の全てにそんな背景を設計しているのではと想像する。

作家なら誰もがそうした人物設計図は作っているとは思うが阿部先生の設計図はとんでもなく細かく情報量が多いと思う。

何なら一人の脇役にノート一冊使うぐらいの分量があってもおかしくないとこれまた勝手に想像している。

どんな親の元でいつ生まれ、どんな環境だったか、どんな家に住み、どんな食事をして、どんな育て方をされ、何に感動し、何に失望したか、兄弟とはどんな会話をしたか、言葉使いはどうだったか、泣きたいとき涙が出るタイプか、その時着ている衣の素材は何か、事細かにプロフィールができていて、そこから導き出されるその人ととなりが、この場面だったらこう思い、こう言うだろうと表現されている。だからキャラクターにブレがない。路近などは、一見とても漫画チックな風貌と言動だが、なぜか現実に存在しうるのではと錯覚させられるぐらい生き生きと描かれている。でも、何かのインタビューで先生は脳内会議で設計図から大きくはみ出したり、本来ならすごい悪役なのに本人が嫌がったりして本筋以外の枝葉の部分で内容が変わるようなことを話していた。軌道修正ありの設計図だという。そのたびにノートに書いた設計図を作り直しているのだろうか。見てみたい。

 阿部先生の設計図ノートにはまだまだ表に出していないキャラクターが山のようにいるはず。人物背景を本で詳しく紹介してもらえる脇役はごく一部だ。
そんな中、私がこの先一番に知りたい設計図は治真だ。この男の詳細もいつか書いてくれると思っているが、どんな境遇を経たらそばかすの気の弱そうな少年が、『楽園の烏』で時代劇に出てくる悪徳商人のような振る舞いに到る人物になったのか、是非知りたい。

脳内会議に参加してみたい

先生が時々やるという脳内会議に私も参加してみたい。そして雪哉を呼び出してあれこれ聞いてみたい。何聞いてもにっこりしながら「すごいですね、そんな風に思っていただけるなんてありがたいです。」と軽く言われそう。もちろんそんなことは想定内。得意のにっこりが出た瞬間に「出た! 腹黒にっこり!」と言い返したい。雪哉に「うっ!」と言わせたい。楽しいだろうなぁ。

コミカライズ『烏に単は似合わない』『烏は主を選ばない』について

 このnoteのメインタイトルは阿倍智里先生の小説シリーズなのだが、コミカライズに触れないわけにはいかない。何回も読み返した。本ではさらりとした描写かもしくは、ないシーンが漫画には丁寧に描いてあったりする。

漫画だから伝わる表現があって楽しい

賭場に売り飛ばされていた1ヵ月半、そこで雪哉がどんな経験をしたのか本ではあまり語られていないが、漫画では詳細に描かれている。その描写からきれい事ではすまされない谷間のリアルな生活がひりひりと伝わってくる。小説2部以降、谷間の話しが出るたびに、これらの描写が私のイメージ補完にとても役立った。ありがたい。

 漫画の雪哉

雪哉の表情で私のお気に入りはいっぱいある。

初めて招陽宮に来た時、額に手をかざしながら遙か彼方にある滝を細めた目で凝視しているその表情
たすきがけ姿で雑巾をぱんっと引っ張るしぐさ
奈月彦と紫宸殿に向かう途中、「あ、言い過ぎました?」と手の平で口元を隠しつつペロッと舌を出している横顔
町中散策で澄尾をからかうようにニヤリするマシュマロ雪哉
中央花街に向かう馬に乗せてもらい奈月彦の肩越しに後ろを振り返る無防備な顔
賭場で奈月彦を笑いながら殴ろうとし返り討ちにあう雪哉
そのあと、立ち上がらせるために差し伸べた奈月彦の手をせめての仕返しと言わんばかりにぎゅーと強く握りしめる雪哉。
桜花宮で、取引を謀ろうとした大紫の御前との問答を、無邪気を装ううさんくさい笑顔で乗り切る雪哉
33話の冒頭でのれん越しに奈月彦の部屋を覗く、半ギレ一歩手前の雪哉。

どれも大好き。本当に好き。
細かすぎて私以外に共感を得られないかもしれないが、これらの表情は漫画だから伝わる面白さだ。そしてその面白さは松崎画伯の表現力のなせる技でもある。
私の脳内雪哉は画伯の雪哉そのものでイメージされている。そこには何の違和感もない。

松崎画伯はデッサン力と構成力、本の読解力どれを取っても素晴らしい!

朝廷や町中の風景、人々の表情、暴漢と闘うシーン、どれも確かな筆致だ。カット割りもすごく動きがあって単調にならない。
その上、小さなシーンにも松崎画伯のこだわりが生きている。
Xでもつぶやいたが、谷間の賭場に雪哉を連れて行くとき奈月彦は後れ毛を束ね直し、雪哉を置いて谷間から出てきたら束ねた髪から後れ毛を出していた。後ろ姿の上、小さな小さなカットだ。小さなカットながら指先の動きで髪型を直しているのがちゃんと伝わってくる。描写力が卓越している。うまいなぁと素直に感動した。
まだ漫画を手にしてない方にも、是非読んでもらいたい。小説と照らし合わせながら読み進める面白さを味わって欲しい。 

とても後悔していること

小説を読み進めている時、具体的イメージを浮かべている私だが、一つとても後悔していることがある。
少年雪哉は松崎画伯の漫画イメージそのものがストライクだ。それは揺らぎようがない。
問題は博陸侯。彼の顔の描写は思いのほか少ない。
具体的にどんな顔の中年になっているんだろうと思いを巡らせたとき、ふと浮かんだのが『美味しいぼ』の海原雄山。。。

海原雄山はよく怒鳴る極めて感情的な人物だ。年齢も博陸侯よりもっと上。なのに海原雄山が浮かんでしまった瞬間から雪斎ビジュアルは海原雄山に脳内変換される。しゃべり口調が海原雄山と雪斎が似ているからなのか。どちらも絵に描いたようなおじさん口調だ。

いわく、〜がよかろう、〜言っていられん、〜があるしな、〜あるまい、などなど。
雪哉が本当におっさんになってしまったんだなと思い知らされる言い回しだ。
共に後ろに流す長髪というのも多少影響しているかもしれないが、それにしても。。。なんで思いついてしまったのだろう。何とか払拭したい! 本気でdeleteしたい!

何かいい方法ないだろうか。何気なく海原雄山を浮かべてしまった自分に言葉で言い表せないぐらい後悔している。

この後悔からは、阿部先生か松崎画伯の描写で上書きすることでしか抜け出せそうもない。どうかもっとかっこいい雪斎を細かく表現して欲しい。せつに願う。

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