稲作創話「棚田物語」乙類02「トラクター物語① ウイリーイエロートラクター」
私は、こう見えて(どう見えてるんだよう!)、トラクターとの相性がすこぶる悪い。イメージできにくいかもしれませんが、3mほど下の田にトラクターと一緒に転げ?落ちたり、急に前輪の右側だけがロックされて、急回転して、田や溝に落ちたり、坂道でウイリーさせたりした経験者です。これは、本当です。
運転が下手ということもありますが、棚田だからでもあります。田から田に移るには、そんなに広くはない坂を上ったり、下りたりします。下りるときはさほどの危険は感じないのですが、上る時は、怖いです。偶にウイリーしますから。正直、命がけで田んぼ作ってます。ですから、疲れを感じる時とか、気分が乗らないときや焦っているときには、トラクターは出動できません。心を落ち着けて、気力も体力も充実していると感じる時でないと、よう動かせません。それほど、怖いのです。
というのも、そもそものトラクターとの出会いが、悪かったのだと思います。
初めて山奥の棚田で自然農法での稲作を始めるときに、親父は決して自分のトラクターを使えとは、言いませんでした。また、自分が乗って手伝ってもくれませんでした。かわりに、近所に安くて小型のトラクターを見つけて、「10万円で引き取る交渉をしたから、その家に行って取って来い。カネは後から俺に渡せ」と言って、私を軽トラの助手席に乗せてその家まで取りに連れて行ってくれました。家から2kmほど下った集落の100mほどの坂を上ったところの家の倉庫に、その小型で黄色のトラクターは土埃をかぶって眠っていました。
そこで、私は降ろされて、「自分で運転して持って帰れよ。カギは付けとるそうだから」とのこと。
彼は、残念ながら、これが私がトラクターに乗る初めての体験だ、ということを全く知らずに、軽トラをUターンさせて帰っていきました。
幸い家の人が出てきて、エンジンのかけ方、クラッチとブレーキのペダル、ギアの入れ方、後ろについているロータリーの上げ下げレバーの操作といった基本的な運転の仕方は、説明してはくれました。そう、説明してはくれましたが、何せ初めて。本当に泣きたい思いで、エンジンをかけ、ギアを入れ、ゆっくりとブレーキとクラッチを外し、アクセルを踏みました。動きました。エンジン音もブルブルと調子よさそうです。で、本当にゆっくりとハンドルを切りながら倉庫から出し、庭を通り、坂を下り、国道494号に出ることができました。
「やればできる」、以前は県内でも甲子園でもよく聞いた高校の校歌です。私にもできました。まあ、やればできました。
国道に出てからは、調子づいてギアを高速3まで上げて、結構、かっこよく実家に帰ってくることができ、これからの田作りへのワクワク感は、高まりました。
しかし、このイエロートラクターで3mほど下の田に落ちたのではありません。このトラクターでは、ウイリーしました。馬力も型も小さいので、小回りは効くのですが、その分、軽い。その分、チャッチイ。ですから、上る坂がある程度の勾配を持っていて、不用意にそこを上っていくと、前輪が浮くのです。少し浮く位ならならいいですが、完全に上がってきて、お手上げ、バンザイ。で、とっさにできたことは、後ろのロータリーを下すこと。前が上がっているのだから、後ろを下ろしてさえすれば、前も下りてくれる。実際、それで、その時は、助かりました。
少しでもその技術、要領を親父や田を貸してくれた叔父や従弟がレクチャーしてくれていたら、こんな怖い経験はしなくて済んだかもしれません。実際、ウイリーしてトラクターの下敷きになって亡くなるご老人の方が、日本中で年に数人はおられるそうです。下敷きに成らないための逆U字の鉄のアーチが、座席の頭上に設置できるようになってはいるのですが。
しかし、この経験が、その後の3m落ちの引き金になろうとは、思ってもみませんでした。
このイエロー野郎は、その後直ぐにエンジンの調子がすこぶる悪くなって、田中(でんちゅう)にて全く動かなくなり、係りつけの近所の農機具屋さんを呼んで診てもらうと、エンジンが「焼けている」とのこと。「・・?・・」暫し言われていることが理解できずにいると、「おそらく、以前にガソリン入れてエンジンかけたんだと思う。」「ディーゼルエンジンに?」「そう、軽油じゃなくて、ガソリン入れて」。
絶句。そげな代物を売りつけやがったのかよう!と心の中で思っても、後の祭り。アフター・フェスティバル!
こんな奴に殺されなくてよかった。
次のトラクターが、3m落ちのイセキのブルー。ヤフオクに出ていて、それも同町内。すぐに連絡して、そこの息子さんとお父さんとも交渉して、28万で手を打った。「競り売りでもっと高くなるかもしれないし代物だから、おまけで何かつけてくれないか」というので、その時持っていた小型の耕耘機をつけた。今思えば、もったいないことをしたもんだ。畑で結構快調に動いていて重宝していたが、少し小さい型だったので、まあいいかと手放すことにした。ほんと、もったいなかったと今でも悔いている。耕耘機さん、ごめんなさい。その仕返しか、その後、親父の耕耘機さんにも泣かされました。実際は、耕耘機さんを直してくださろうとした農機具屋さんですが、あの時、あんなところで、どうして動かなくなるのか、敵討ちとしか思えません。
で、このヤフオクから買ったブルー1号も、国道11号線、494号線を駆って、無事にわが家の倉庫へと格納され、自爆テロのように、自身と私を3m下の田に落とす計画を練り始めたのです。 (つづく)