昭和のgifted - 85 『僕たちの行進曲』
前回のお話しはこちら
※今回のヘッダー画像は通りすがりのアムステルダム出身のカメラマンに撮影してもらったものです。
いよいよ資金も尽きて、上手くいかない現状を打破することもできなくて、頑張ってアルバイトとか増やしてみたけど揺り戻しで起きれない日が増えてきていて、人生何度目かの鬱症状が顕著になってきた。
だけども私は諦めない。
寿命が尽きるその日まで、同じようにいろんなことに心を痛めている人たちの、生きる希望になるために私は生まれてきたのだから。
だから今、どん底だけど書き残しておきたい物語を、何故かはわからないけれど溢れ出る涙のように書き綴ることにした。
これはみんなの物語。
タイトルは『僕たちの行進曲』
僕は森に住んでいる。
この森にはクマとふくろう、うさぎときつね、たくさんのいきものが住んでいて、みんな同じように生きている。
僕はこの森の大樹の守びとで、迷い込んできたいきものたちの道先案内人をやっている。
最近この森に妖怪が生まれた。
まだ小さくて、触ろうとしても透けてしまうくらい実態がないのだけれど、それでも自我を持っている。
僕たちは一生懸命考えた。
存在するかもわからない、不思議ないきもの。
だけどそこにちゃんと意思があって、彼も一生懸命生きている。
僕たちはそれぞれ別々のいきもので、だからこそお互いの常識が伝わらないこともたくさんある。
それでも伝わらなくてもどかしい気持ちを、誰よりも知っているから僕たちは考えることを諦めたりしない。
どうしようもなく、誰かが諦めそうになったら、それこそ僕の出番だ。
僕が諦めてしまったら、この森の道標である大樹は枯れてしまう。
僕が守っている大樹が枯れてしまったら、この森にすむいきものと、この森にはいなくともこの森のことを風の便りで知って思いをはせてくれているいきものすべてが道標をなくしてしまう。
例えばこの大樹が切り株になっても、僕は諦めない。
寿命が尽きるその日まで、切り株の上でいまだ辿り着けないでいる誰かのために歌を唄いながら待っている。
季節は巡り、いつしか春は訪れる。
僕は“春を呼ぶ木”の守りびとだ。
どれだけ困難がおそいかかろうとも、大樹がつける実を、森のいきものたちに配りつづける。
妖怪はまだ小さくて、この実を食べることはむずかしいかもしれない。
たとえ僕自身の分を減らしても、この妖怪が食べられるようになる日を待ち望んで僕は実を蓄える。
この大樹がつける実は、食べたらたちどころにこころがみたされる魔法をもっている。
僕はいつでも、いつまでもここで待っている。
だからクマやふくろうやうさぎやきつねの力を借りて、できるだけたくさんの人にこの実を食べてもらうために、僕は今日も待っている。