エンタメに助けられる日々
今日は少し、目線をかえて日常感を出します。
現職、公立赤字総合病院薬局補助。業務内容、薬剤師補助、内服外用薬剤在庫管理、医薬品請求書作成事務的業務。雇用形態、週30時間勤務の嘱託職員。2年目、ヒヤリハット、始末書未だ提出的案件なし。
ここ、2、3週間、苦労を買ってるから、自己責任なんだけど、、、
正規職員によるマウンティングがすごい。そして、わたしという個人の尊厳が軽視されつつある。
これを書く、わたしは核家族の2人姉妹の姉である。5歳のときに妹が生まれたので、一人っ子よりの1番っ子だ。幼少期はひとり感が取れずに、良くない姉であった。また母が産後うつからの双極性を発症してしまい、寂しさを隠した学童期だった。父は家族のため船員として24時間拘束の1ヶ月に1週間だけ顔を合わせ、後は電話のやり取りだけであった。携帯電話ができたのは画期的だった。それでも、電波状況は波があるため移ろいやすく、わたしが辛さを感じ、助けがほしいときに、声は出せなかった。寂しさから拗ねるという行為すら学生期は出来なかった。ただひたすらに顔色を伺い、うそとホントもごちゃ混ぜに過ごしていた。大学時代はお酒もタバコも嗜み、大量の飲酒と楽しさだけを追求した遊びで過ごすこともあった。その反面、高校時代から続けている弓道もまたただ続けていただけであった。集団から孤立したくなった。こんなメンタルなので、就活はボロボロ、リーマンショックの影響もあり、さらに4年時、人生で最大の罪を犯した。遠征の運転手をして、高速道路で事故に巻き込まれ、後輩1人の命を奪ってしまった。優しくて、暖かく、また負けず嫌いで芯もしっかりしていて、みんなに愛された人だ。今でも、愛している。不運が重なったとしか言いようがないが、すべて自己責任。後ろから追突されたとしてもそれを回避するように運転するのが運転手の役目であったのに、試合を終え疲れ切ったわたしのからだは休息を欲していた。状況がわかっていたので、次のパーキングまで同乗者に車内を明るくしてもらうように頼み、あと2kmだったのに、たどり着くことはできなった。次に意識が戻ったときには車体が回転していた。メガネはどこかへ吹き飛び、視界がぼやけたまま外に出ると、後輩が2人車外にはじき出されていた。地獄とはまさにあのときの様子を言うのだろう。同乗者が軒並み怪我をしている中、わたしは右人差し指にフロントガラスが食い込んだことと、ムチウチだけであった。神は非情だ。どこかの信仰宗教の教えを守り、ボランティアによくいき、保母さんになりたかった彼女の命だけを奪った。わたしが彼女の輝く未来を奪った。
なんか、長くなったけん、続きは書きたくなったら書く🤣
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