新型コロナのロシアと日本の違い

ヤフーニュースで気になるニュースがあると、そのニュースの配信元をたどってみる。メディアによって思想が異なるからだ。これは朝日新聞系列のメディアですね~

ロシアの新型コロナ感染拡大で深まる謎 どこで日本との差が生じたのか? https://globe.asahi.com/article/13364710

ロシアではいま新型コロナの拡大がかなりなことになっていると報道で知っていますが、そうそうそう。そういえばプーチン大統領はかなり厳しい対策をしっかり取っていました。その頃から今に至るまで、ロシアの状況を横に見ながら、日本ではゆるゆると検査体制や補償、コロナ後を見据えたとんちんかんな経済対策までが紆余曲折して、いまもまだぼんやりと過ごせていて、それはある意味まだ平静を保てる日常を送れています。何なら緊急事態宣言の解除を肌で感じるのがいまの東京の状況なのではないかと思います。

この程度で済んで良いのだろうか?

医療施設では日々、必死の取り組みが行われ、勤務されている方々には本当に感謝しています。その努力があってこそ、一般市民である私たちは平静でいられます。

そのことは踏まえても、しっかりと対策を取ったロシアと日本の現在地の違いは何だろう。関心があります。

記事中でその理由を色々と推論する中で、日本人がマナーを守ること、公共の安全のためにはお互いが協力すべきという同調圧力が強いことを挙げていて、そういう要素はたしかに日本人にかなり強い要素だけど、それをもって「強み」としたくはないなあと思います。正義感を振りかざし、同調圧力を発揮することが結果として予防することに寄与していたとしても、多様な価値観を認め合い、まあいいじゃない私は違う考えだけどと思える余白をお互いが自然に持てるような社会を望みます。

お互いが監視し合い、ストレスを共有するような社会は、一人一人の生命力を減退化させます。免疫力を高めておくには同調圧力という概念自体を放棄したいくらいで、なるべく理解しないよう普段から努めています。

私を見てひねくれ者、空気読まない絡みづらい人と感じる人もいると思いますが、説明するとそういう考えです。自分でも時々めんどくさくなります笑

この新型コロナについて考えることがやめられないのは、生命の危機を引き換えに、色々なことを示唆しているような気がするからです。ほんとうに不思議なウィルスです。

いつの間にか自分の中の深い価値観や存在意義のようなものまで向き合っているような気がしてくる。「生きていることだけがそんなに大切なのか」最近はうとうとと眠るようにそんなことも考えるようになってきました。ヤヴァイですね笑

自分の不安や心配にはエネルギーを注がない

先ほど身体感覚講座の松田さんから受け取ったメールにそんな言葉があって、噛み締めました。いま講座の再開についてやり取りしています。6月は開催する予定です。




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