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吉田先生待っててね!

アンダーニンジャがおもしろい。夜中に偶然テレビでみてハマってしまった。ドラマVIVANTをみて自衛隊の裏組織を取材した本を読んでいるが、どうやらそういう組織がもし存在しないと世界情勢の中で平和を保つことは難しいらしい。アメリカは戦略として行えるが日本ではシビリアンコントロールのこともあり表立ってはできないようだ。

アンダーニンジャはこの自衛隊の闇組織をアレンジしつつ取り入れた物語になっている。物語としても見応えがあるのだが、まず感動してハッとしたのは舞台装置、小道具の巧みさだ。最新の軍事技術を取り入れた戦闘服だけど見た目はパーカー。練馬区の安アパートにしか見えないけど畳の裏にはミサイルに耐えるシェルターになってたり、アパートの隣人の水商売している若い女性やリストラされて再就職したばかりの独身中年男性はあまりにも不用心で無警戒すぎて、手だれの忍者かも知れないと考察されたりする。よだれを垂らす赤ん坊は忍者の組織の最高幹部の脳を移植していて今は言語に不自由で話すまでに数年かかるが話の内容は認識しているという。

つまり大掛かりなそれっぽい大道具も小道具もなく練馬区で一般に目にする景色のままでこの物語は展開してしまう。実写映画とか舞台なんかにすぐ移植できるな。演技力さえあればすごくおもしろいだろうなと思った。

現実にある政治問題に絡めつつの、制作費のかからない骨太なストーリー。そこにまず感動した。

そしてこれは個人的な印象で、実はこのことの方がとても大切なんだけど、やはりそうなのだろうなあという気付きがあった。そもそも強く、今さらに強く感じたのはゴールデンカムイの漫画を読んだときだ。あの漫画もアイヌの文化を日本政府側の政治問題も関わりながら描いていてとても骨太な物語に感じた。そして同時に強く感じたのは、

正しさとか倫理観はひょっとすると余計なものかも知れないなと思った。ゴールデンカムイで一番真っ当なのは主人公の杉本かも知れない。あそこでは想いの強さが大事で、各々がある意味、歪んでいて狂っている。クレイジーな奴ばかりだ。

だがクレイジーなほど、純粋に予定調和とか倫理観から外れた人物ほど頼もしい。生きてるなあと思える描き方がされている。

正しさって何だろうな?ゴールデンカムイで最も強く感じたのはこのことだ。

そしてアンダーニンジャでは倫理観とか正しさを説く人物は誰一人としていない(ように見える)。全ての登場人物が良い意味で狂っている。会話が噛み合っていることの方が少なくて、緊迫した場面ほど予定調和というレールから逸脱する。サクッと、オシャレにズレてくる。生きるか死ぬかの瀬戸際で、くノ一(女忍者)は生きることを選ぶ。吉田先生のためだ。吉田先生はおそらくあまり売れていない作家で編集者に偽装したくノ一は先生が書き上げた作品を大いに褒めるが結果的にほとんどをボツにする。赤ペンで残酷なほどのダメ出しに打ちひしがれる吉田先生。ほとんど書き直しじゃないか…でもそれだからまた会える。直し続ける限り校正しなくてはならない。吉田先生に会えるのだ。待っててね吉田先生。清々しいほど何かが狂っているがそれが心地良いと感じるのはそこに生じている真心になぜか共感できるからだろう。

ドラマVIVANTはそういう意味では正しさを求め、間違いを正すためなら命を賭けるといった内容だった。最終回に近づくにつれて日本中で話題にされるようになることに違和感を感じたりもした。

大事なのは大義か、それとも個人の中に生み出された狂おしいまでの狂気に似た衝動か。

面白くて深い架空の物語は近い未来を描いているのかも知れない。



アンダーニンジャ

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