あなたラボ(秋田県若者活躍プラットフォーム構築事業)に参加してみた
あなたラボとは
かなりふんわりとしたコンセプトのセミナー。
チラシ広告やホームページからは、「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」という強い私念が伺える。
実際の交流会中でも強めに「心理的安全性」に言及し、講師の方から主催者まで含め、ひとまず話をしてみよう、相手の話を聞こう、というスタンスを主張していた。
第一回セミナーのレビューにも力強く「自己犠牲にならずに、他者を理解する」「失敗して良い場」と記載されており、意見交換のハードルを下げることに注力するテーマが伺える。
どういうセミナーなのか
そもそもセミナーって何? 原義としては「ある議題に興味を持つ人を広く集めて開催するイベント」ということになるそう。
そういう定義でいくと、あなたラボは『もやもやしたものを抱えて、なにかしたいが、今のところ何もしていない人』を集めて、『交流を繰り返してアイデアを収斂』していき、最終的に『なにかをする』というセミナーのようだ。
なにかってなんだよ
トライアスロン仲間を増やしたり……
マイナーめな球技で遊んだり……
本を読んだりとか。
ゆるくない?
ゆるい。
おそらく、一般的に「地方で何かやりたい人のためのセミナー」の中でも群を抜いて、ゆるい。
でも……
うわ~~!!!
少なくとも、県が審査するなんらかの要件を満たしてる~!!!
てゆうか、主催してる~~~!!!(ほんとに???)
という、「公的事業として出資を受けている」点と、「それでいて、最終目標が『起業』とか『地域貢献』とかじゃなく『なにかをする』というゆるさ」に魅力を感じて参加を決定。
何かをやりたい人は、爆弾みたいなもの
そもそも人間はみんな可能性の火薬庫みたいなものだが(急に何?)、その中でも『なにかをやりたい人』というのは、ちゃんと導火線のある爆弾みたいなものであるような気がする。ここからしばらく語りが続くので、早くあなたラボの話を聞きたい人はこのセクションは飛ばしてください。
『なにかをしたい』という感情は、おそらくごく小規模なもの(今日は外に出たくないとか、昼飯はラーメン食べたいとか)まで含めれば、誰にでもある。しかし、その感情を自分の人生と関連づけできる程度まで大きく広げたとき、それによって恩恵を正しく得られる人間なんて一握りだ。
多くの人間は『今の自分』と『理想の自分』の間にある巨大な位置エネルギーを持て余す。ソースは過去の俺。なんなら、そもそも『理想の自分』なんて存在しない人生を生きている人間のほうが大多数のはずだ。ソースは今の俺。
それでも、ずっと変わらないまま続く人生は、ある種の人間にとっては、息苦しい。
おそらく、あなたラボのホームページやチラシを書いた人は、そういう感情を抱いたことがあるのだと思う。
だけど、『なにかをしたい』気持ちを、ただ押し広げていくのは本当に危険なことだ。
例えば、『ただの人』の鼻先にニンジンを吊り下げて、『特別な人』への展望と希望を持たせる、という業態のセミナーはありふれている。理由はおそらく、何かをやりたい人には経済効果があるから。特に、何者でもない人が何かになりたいとき、焦燥感や不安は商品になりうる。今まさに海に泳ぎ出し、その結果、大海原の真っただ中で波間に浮かんでいる人、その「いつか力尽きて溺れるかもしれない」「陸に上がらなければならない」という焦燥感は、ただのロープのついた浮き輪を、それをただ投げてもらうだけの権利であったとしても何万円も出して買うだろう。これは詐欺の話ではない。なんならお金の話ですらないかもしれない。『なにかをしたい』と思ったとき、そこにつきまとう気だるさや苦痛、焦燥感や不安をすべてノーコストで解決することはできない。希望は高値だ。払わなければならないのは、自分自身の価値。それは日本円かもしれないし、自信や可能性、アイデアやスキル、度胸やコミュニティでの立場かもしれない。
なにかをやれる人間は特別だ、と思うなら、なにかをやるために、特別で居続けるために、コストを払い続けなければならない。
社会の冷笑も、自身の焦燥も、全て起爆剤になりうる。苦痛はいずれ最悪の形で爆発する。そのときは、ただ自分が火傷するだけかもしれないし、誰かは笑うかもしれないし、誰かのことは泣かせるかもしれない。第三者が一方的に利益を受けることだってあり得る。そうやって焦土に残されるのは、「騙された」という怒りかもしれないし、「もう二度とこんなくだらねえ夢を語っていられるか」という憤りかもしれないし、「もうどうでもいいや」という諦観かもしれない。
ただ、本当のことを言うなら、おそらく爆弾には使いみちがある。鉱脈を探し出し、安全な運用手順をクリアし、自らスイッチを押す。どんな感情でも、可能ならそうやって使われるべきだ(難しいことではあるけど)。
あなたラボはどうだろうか? 彼らはどう思っているのだろうか。
あなたラボの目的を考察する
一字一句正確には覚えていないけれど、代表の人はおおむねこのようなことを言っていた。
・自分は、なにかをしようとしたとき、必ず誰かに冷笑されてきた。
・なにかをしている人を増やすことで、なにかをしたい人が、『なにかしたいと思う』こと、『なにかを実際にする』ことを、容易にしたい。
・それは最終的に秋田(公衆)の利益になる。
かなり血の通った話だった。
つまり、彼らは爆弾的な人間、自分たちのような人間がより生きやすいように世界を改変しようとしているのだ。
それは、エゴだ。
だが、『あなたラボ』はその本音を最初から隠していない。
このセミナー名には、他者の”我”を示す単語が使われている。
あなた。
このセミナーはおそらく、主催者たちの個人的な実感、エゴから始まっている。そして、利己を不発弾のように抱え続けている、おそろしく、可能性に満ちた人々を、なんとか肯定しようとしているのではないか?
その結果、どうなったかはおそらく重要ではないのだ。
『誰かが、ここで、なにかをしようとした』、そのこと自体に価値を見出そうとしている……と、いいな~!!! と思いながら、話を聞いていた。
上記は個人的な感想で、あなたラボの活動理念が実際にどうなのかとかとは関係がないことを明記しておく。
それについては、おそらくこの一年の間に、実際の活動の中で確かめていくことができるだろう。
自分自身に気が付く
ほんと同卓した皆さんに「ブログ書きたいんですけどちょっとだけあなたの話をしてもいいですか?」って聞いておけばよかった。
上記のようなやたらご立派なことを急に言いだした背景には、実際に同卓した方々が、今回のセミナーの中で残した魅力的な発言、行動、特徴があるからだ。
ひとりひとりのお話をここに書けないのが悔やまれる。
とはいえ、普段、自分が「人間はこのぐらいの感覚で生きていくべきだよな」と思っている感じの人間の姿が見られて、それだけでもかなり満足した。もうあなたラボの目的達成でもいいぐらいの満足感(おい)。
同卓してくださったみなさん、本当にありがとうございました。楽しかったです。
アイデアを出すとき、人は自分の中にアイデアが存在することに気が付く。
そして、それを話しているとき、おそらく、『自分』というものが、その合間に存在していることに気が付くのだ。
いきいきと推しのことを語る人を見るとハッピーになるのと同じように(この感覚はもしかしたらヲタクにしかないのではないか? とも思うが)、人が何かに脅かされることなく楽しそうに喋っているだけで、その内容とかはもう関係なく、その状況は素晴らしい。
ついでに内容が『なにか』に繋がったらもう万々歳である。既に3期生は活動開始している方もいらっしゃいますね。すごいぜ。
こういう、6月の交流会で感じた『良さ』が、これから潰されず保たれていくかどうか。
付かず離れず、楽しみながら追っていきたい。
以上、活動全体とその理念への感想でした。
そろそろ7月交流会がありますね。
つまりもう一か月経ってるんですが、そのうち6月交流会のもっと詳細な感想も書けたら書きます。もう打ち上げの時に遊んだボッチャが超盛り上がったこと以外思い出せなくなりつつあるけど……。
サーバー費用で貯金がめちゃくちゃなので、なにかしらサポートしていただけるとちょっと助かります。