見出し画像

チカチカと してる画面を 見つめつつ

 静寂が夜の闇を包み込む頃。少し昔のことを思い返している。思えば奇跡の連続だった。あの時のあの思いが無ければ今の私が存在しないと思うと、すごく不思議な気持ちがする。別の道はあったのだろうかと。。

私のターニングポイントは、あの時の旅。誘われて、気安く話に乗った。壊れかけていた私に旅はとどめを刺したのだろうか。美しい街並み、雄大な山々、ワクワクする夢のようなひととき。天候にも恵まれ、行きたい場所はほとんど網羅した。

「連れて行ってくれる」旅はいいと思った。この話は入口なので、今後気が向いたら少しずつ紐解いていきたい。そして振り返って行きたい。私はあの頃の出来事を作品として残したくてサイトを立ち上げた。そしてその思いは叶った。そのサイトがきっかけで夫と出会った。だから結果オーライ。

でも、と思う。歩んできた道は、歩まなくてもいい場所も歩いてしまったのではないか、と。できれば避けて通ることもできたかもしれないと。グルグルと犬が尾っぽを追い回すようなことをもう20年も続けている。その時の答えはまだ見つかっていない。

私は何を望み、なぜそんな道を歩いたのだろう、でも、あの時確かに「本当の私」になった気がしていた。あの時思い描く「本当の私」と今望む「現実の私」はあまりにも違う。私はおとなしく静かに、今を味わっている。あの頃のすべてをここに書くつもりもない。たぶん書けないだろう。ただ、新しいステージに新しい文を生み出したい、その思いが、20年の月日を経ていろいろな経験を重ねた私の今の思いを残しておこうと、あの時とは違うなにかは生まれるかもしれないと淡い期待をしながらじっくり向き合いたいと思っている。

語り部は、いつも同じ話をしている。あの場所から離れようともせず、飽きもせずずっと同じ話をしている。見つからない答えを探して。思いのたけを語りつくすことはできない。ただ、あの時よりは少しなめらかに書けるような気はする。

どこからが始まりで、どこまでがたどり着く場所なのかわからない。私は今途上で、どこまで行くのかわからないでいるのだから。どこに導かれて行くのかも知らずに、ただ語りたい思いで書いている。

始まりを「19歳」にしようと思う。この話を語るにあたって、この画像を貼りたいと思う。そして自分を見つめ直す良い機会とも思う。私は自分の意志でここまで来たのか。何を持ってそう行動したのか。ただあの時、帰りの飛行機で、「私書きます。」と伝えた。それは書かずにはいられないほどの衝動をもった経験だった。あの時確かに私は奇跡を体験した。それは私にしかわからないたぶん小さな奇跡だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?