カフェからの愛☕
初めて一人カフェのデビューは、三鷹のベーカリーカフェクラウンだった。25歳のときだ。
仕事上がりの17時過ぎ、BGMで小柳ゆきさんの「あなたのキスを数えましょう」がガンガン流れていた。
失恋の痛手を負っていた私の心にガンガン刺さって、しばらく小柳ゆきさんの歌をカラオケで歌ったり、松任谷正隆さんのMAIKAに習いに行ったりしていた。松任谷正隆さんには、「大人ならば自分でなんとかすること」というメッセージをもらった。
三鷹のクラウンには、三鷹のオリジンを辞めてからとんと行ってないけれど、武蔵小金井のクラウンには今でも足繁く通ってる。
ベーカリーカフェのイートイン吉祥寺駅キラリナのルパも足繁く通うカフェだ。
夫に、カフェでパンを食べない、どうしてもならば買って来て、一緒に食べよう。太るから。と、再三言われているけれど、私は週に一度は、ルパかクラウンに通う。
若い頃は雑誌を片手にカフェ巡りもした。
現在は、カフェを訪ねる回数は、とても減った。
カフェが私にとっての別宅で、私は、長居は、しないけれど、大好きなのは、父の遺伝子だろうなと思ってる。
父は、若い頃はカフェのモーニングでトーストと珈琲をすするのが日課だったそうだ。
もしかすると新橋かもしれない、父は、若い頃は霞が関でも働いたという。でも父からは何も聞いて無い。
父は東大にも国内留学が決まっていたけれど、入院でおじゃんになったらしい。
叔父の友に、従妹の結婚式で初めて父が東大に行こうとしていた話を聞いて、全然知らなかった私は、チグハグな会話になってしまった。
その叔父の友は、昨年末に亡くなった。
天国で父に会って、「あの時の真実ってなんすか。」とか聞いてくれるといいんだけどなぁって思う。
父とカフェに行ったのはほんの数回だけど、父は、家にいるとお腹すくと母に「パンかなんか無い?」と聞いていた。
「パンかなんか無い?」なんてかわいいんだ。
そして、父は、カップの飲み物が空になってるとき、「飲み物ちょうだい」とは言わず空のカップを持ち上げて、すするしぐさをした。それを見て母は、お茶を注いだ。
自分でお茶を煎れるとは思わないらしい!
父は、殿様だったと思う。結婚前は祖母が結婚後は母が身の回りの世話をした。
母は、自分が尽くすタイプだから、とてもパートナー探す気持ちにはなれないと言う。
母は自分にも尽くす。身を粉にして食事の準備をしてる。身を粉にしてまできちんとする必要あるのかとも感じる。
話がそれたが、生前の父とカフェの話をしたことは無い。記憶には無い。
父は、私が26歳の時に亡くなった。
カフェ巡りをしていた当時、お家カフェの現在、今でも通うルパとクラウン。
現在は、お茶さえ、水でさえ、「その場カフェ」と呼ぶ。お一人さまカフェは、場所や時を選ばない。
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