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愛とダイエット

 10代20代30代と太った時期がある。
中2までは姿見見て体系チェックして「良し」などしていたけれど、中3になると、進路選択のストレスでやみくもに食べた。

 我が家は母の方針で食べ物がふんだんにあった。裕福とは言えない家計の中で、衣服や旅行など欲しいものはあまり買ってもらえなかった。

 塾や習い事、食べ物に予算を費やしてくれていた。そのおかげでおしゃれは、お下がりだったり、旅は母の実家などだったり、山岳部の合宿などで友が日本や海外の旅に行くのを聞いていいなと思っていた。

 私は母の計らいでいくらでも食べることができたのだ。

 特に中3の時は冷蔵庫を覗きながらむしゃむしゃ食べた。

 母は、団子や林檎リングなどスイカや肉料理など冷蔵庫にストックしてくれていた。

 私は母の計らいについて、衣服代を捻出してくれないことに不満を持っていたが、今振り返ると正しい決断と思う。

 高校になって過食は、更に増した。高校の頃は食べても山岳部の活動も激しかったので激太りほどには至らなかった。

 それでも55キロだった。

 両親は山岳部の活動を全面的にサポートしてくれた。山岳部の活動を一度も休むこと無く、アラスカの遠征にも行かせてくれた。

 きちんと話し合って振り返ったことが無くて、母の決断と父の思いをきちんと尋ねて無い。

 私はあの時夢中で夢に向かって取り組んでいたので経済の心配や、親や、兄の心配など微塵も想像してなかった。

 父の給料は、それほどではなかったので、母のパート収入も教育費や家計費に当てられていたと言っていた。

 私はおしゃれできないでいることを不満に思っていたが、高校の制服も揃えてくれたし、一応のことは何でも了承してくれて経験させてくれた。

 食べ物と教育費に費やす。それだけで感謝である。

 20代の頃は忙しかった。パラグライダー活動、エキストラのバイト、幼稚園教諭の本業。そして友や同僚との合コン。飲み会、カラオケに明け暮れていた。

 スイス旅行がきっかけで体調を崩し、幼稚園を退職した。今でも幼稚園で働こうという意思が働かないのは、ひとつにはあの頃の兄を亡くして3.4年後、その喪失感と、仲間からの絶縁、それは私が招いたことだったけれど、それがトラウマでとてもあのかわいい部屋でたくさんの園児の命を守り抜く力を持てないと感じているからだ。

 退職後、弁当屋でバイトを始めた頃また太り始めた。弁当屋では、1000円分までが500円で購入できるシステムだった。

 上限を設けたのは、別の店舗で家族分の5000円を半額で買った主婦のバイトがいたからと言っていた。

 昼ご飯1000円分である。太る。
 
 私はオリジンの弁当や惣菜が大好きだった。

 その上、毎度一人4千円くらいの飲み会を頻繁に開催してとにかく食べていた。

 ダイエットなどしていなかったと思う。

 28歳、夫と出会った頃、太っていた。
夫は細くなって欲しいけれどなんとかなると思ったらしい。

 30代、処方されてる薬を独断でやめた。するとガンガン痩せて44キロになってしまった。私は緊急入院し、入院中薬の副作用で、毎日カップケーキやお菓子を爆食い、66キロに膨れ上がった。

 20代の体調崩したときもそうだったけれど、薬の副作用で食べても食べても食べたいのだった。

 祖父や友に「もうやめなよ」と苦言を受けても食べられずにはいられないほどだった。

 30代で66キロから本気ダイエット成功したのは薬の種類の変更による。

 現在は50キロ代をキープ、現在は引き締め体操で体重維持を目標に日々計量してる。

 ダイエットの背中を押してくれるのは夫である。

 夫との出会ってなかった未来は想像つかない。



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