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ねこふんじゃった

ぼくは昔から人に何かを伝えることが苦手である。
こんな風に長々とことばを連ねている自分が言ってしまうと信用して頂けないような気がするが、これはその裏返しだと思ってほしい。昔から人前に立つのは苦手なのに、音楽を生業にしていたのも、ことばで伝えられないフラストレーションのはけ口だったのだろうと今になって思う。

気を使いがちな自分にとって余計なことは言わないに限るし、言って相手を不快な思いにさせたくないと、苦手もさることながら、それが正しく、寡黙な自分がかっこいいとさえ思っていた。

当然、ぼくのこんな少し曲がった考え方は段々と生活に支障をきたしはじめ、学生時代の確立された狭いコミュニティを出たぐらいでようやく、これは果たしていかがなものだろうかと疑念を抱き始めた。

大人になってある程度世界が広がったことによって、出会いは増え、密な人間関係も増えていく。
そこにこれまた厄介なぼくの性格が重なってしまったのだ。それは何かというと、「嫉妬心」である。

「嫉妬心」と聞くと恋愛を想像しがちであるが、ぼくの厄介なところは、それを家族や友人にも抱いてしまう部分にある。これに関してはもうぼくの気質というか、狭義の性格であると思うので、ある程度開き直ってはいるのだが、この「嫉妬心」という厄介な感情の対処法というのが全くわからなかったのだ。

わからないからこそ、余計なことは言わない。
嫉妬なんて七つの大罪の中にあるくらいのものですから、抱いている自分が申し訳なくって、相手を不快にさせてしまう可能性をはらんだ発言は避けてしまっていた。その癖モヤモヤしっぱなしなので結果的に他人を不快にさせてしまう。

そんなとき気付かされたのは、犬や猫の動物の嫉妬だった。面白いもので、やはり動物も嫉妬するのである。
ぼくは大好きな飼い犬の前で、敢えて人形を可愛がったりなんかしてみたときに、その嫉妬心をど直球で後腐れなく表してきたときに唖然としてしまった。

あれ、人間って面倒くさいぞ。

もう少し自分の気持ちはストレートに伝えていいんじゃないだろうか。何ならぼくらなんて、ことばが使えるんだから、もし失敗したってそのアフターケアに全力をかければいいじゃないか。

なんだかんだ言ったって結局ぼくは自分が好きなのだ。
誰かを憂慮しているようで、本当は余計な発言で嫌われるのが怖かったのだろう。

今でも発言に躊躇してしまう場面はそれなりにあるが、とりあえず素直に正直に伝えるようにしている。
当然後悔する場面は多いが、言わないでモヤモヤするようなことがない分、後味の悪さは絶対にない。

今週も読んでくれてありがとうございます。
ちなみに実験によると、犬の78%が嫉妬を行動で表したらしいですよ。人間は何パーセントなんだろうネ。

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