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振り返れば随分変わったと思う。

それは努力の産物か、将また(はたまた)妥協ゆえの弊害か、気づけば変化について考えてしまうのです。
そんな愚にもつかない思考に惑わされている私は結果的にはまだまだ子どもなのでしょう。
たしかに、変わったものよりも、変わらないことの方が案外多いんじゃないかな。あなたも私も。

私たちはすぐに変化だとか幸せだとか特別だとかそんなものに惑わされます。私たちは、何をもって成長と呼ぶのでしょうか。何が幸せなのでしょうか。何が普通で、何が特別なのでしょうか。きっと正解などないのです。これらは全て相対的なのです。

それなのに今の日本は残酷です。人と比べることを良しとしない風潮があるのです。僕らの生きているこの国は資本主義なのに、競争社会に生まれているのに、比べるななんて言う方が野暮な話です。比べればいいのです。絶対的ではないのですから。

昔の私はよく、過去の自分と比べてしまっていました。常に過去の自分の150パーセントでありたいと思ってしまうのです。だから古い話をあまりしたくありませんでした。どうせなら今や未来を大切にしたかったのです。

私はユーミンのおかげで、そんな考え方が変わりました。「14番目の月」を大切に考えられるようになりました。15番目の満月のひとつ手前、不完全な月を好きになりました。不完全な私を認めることの大切さに気づきました。

過去を否定することは即ち、私が人生で関わってきた沢山の架け替えのない出会いを否定することです。私の変化も幸せも特別も、全て私が出会ってきた沢山の人達の変化や幸せや特別の相対的な産物であることを私はついつい忘れてしまっていたようなのです。

比べたっていいのです。立ち止まったり、振り返ったり、ときには引き返してみたり、きっとそんな風に答えのない正解を探しあぐねればいいのです。

短い夏の夜、北の空にカシオペアを見ると思うのです。めいっぱいの幸せを噛み締めたいと思うあまり、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わからなくなるときがあります。今はもう肉眼では見えないけれど、そこにはたしかに夜鷹の星は輝いているのです。

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