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プシュケの言葉。アモルの心。
ぼくは言葉の力というものをあまり信用していません。もし、言葉の神様がいらっしゃるのであれば、あの方は随分と気まぐれな方であると思います。
幼いぼくは無邪気に言葉の力を信じていました。「ペンは剣よりも強し」、やがて語彙力や論理的思考力のような力が暴力に勝ることを知ってししまったぼくは根拠のない全能感に満ち溢れ、それはそれは目も当てられない少年時代を過ごしていたと思います。
だからでしょうか、言葉の神様は大人になったぼくに対して随分と意地悪をしてきました。肝心なとき、言葉は常に無力です。どれだけ言葉を尽くしても、どんな言葉を選んでも、この人の力にはなれないと思う場面がありました。どれだけ言葉を尽くしても、どんな言葉を選んでも、あの子の心を繋ぎ止めることはできませんでした。あれ程信じていた言葉は思い返せば誰かの何ひとつ変えられた試しはなかったのです。
それからというものぼくは言葉の力を信じられなくなりました。
思えば、言葉は常に何かを割り切ろう、切り離そうとします。それとは裏腹に人の心は割り切れません。どんなに実在そのものに迫りたいと思っても、実在は言葉では捉えられません。これが言葉のジレンマなのです。
それでもぼくは、今こうして物書きをしています。どんなに信じないと言ったって、言葉に力があると思い込んでいる時点で、まだどこか希望を抱いているのでしょう。 1匹の蝶の羽ばたきが竜巻を起こすように非力でも誰かの心を動かす切っ掛けにでもなれば幸いだと思っています。
今週も読んでださってありがとうございます。
因みに、みなさまのコメントは、ぼくにとって、紛れもない力です。