見上げたモンだよ屋根屋のふんどし
「会った瞬間運命だと思いました!」
小学生の頃、親戚の結婚式にお呼ばれしたときに花嫁さんがそんな風に話してるのを聞いて馬鹿らしいなと子どもながらに思ったのを今も鮮明に覚えている。
なんとも可愛げのない小学生だった訳ですが、相変わらず僕は運命という言葉が苦手で、ツチノコかなんかと同じ存在だと思っている。僕も今年で齢26になる訳ですが、相変わらず独身で、運命と呼べる人に会ってもいないのでそもそも存在しないのかもしれないし、出会ったことがないだけなのかもしれない。ちなみに僕は遭遇したことのないツチノコも宇宙人も信用していない。なので勿論運命も信用していない。
なんなら軽々しく運命だと口にする人が少し苦手だ。
出会って初めて運命だなんて余りにも他力本願というか面白くない気がする。
好きになった人があの頃のままでいてくれるとは限らないし、僕だって変わらないとは言いきれない。というかお互い変わってこそだと思うんだよね。
因みに僕は博愛主義ではないが、特別好きなタイプなんてのもない。ただ1つ大事にしたいと思えるのは、互いの変化を受け入れられること。その為には話し合いが必要だし、それに合う言葉を持ち合わせているか。心にゆとりを持っているか。適切な距離感を保てるか。その知性や経験があるか。もしくはそれを度外視できるほどの愛があるか。
なにより、これをお互いが意識できるかどうか。
僕が唯一運命と呼べる出会いがあるとすれば親ぐらいなもので、折角なら自分の意思で出会う人を選びたいし、そんな人とどうなりたいとか、どんな人生を歩みたいとか考えながら生きていきたいもんだ。その結果運命だったと思えたら幸せだよネ。
あア、言葉にしてみたものの、ハードル高いなア。
見つかるかな、見つかったとしてもこんな面倒臭い人間僕だったら嫌だなア。
今週も読んでくれてありがとうございます。
運命を否定するような発言をしてしまったけど、あの頃の新婦さんは今でもちゃんと幸せそうでした。
「平等」や「公平」を「機縁」という言葉で説明したお坊さんがいたそうです。ある命を救うことができた「縁」もあれば、奪うことになった「縁」もある。それは無責任なんかじゃなく「できることを、した」その結果なんだよネ。
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