三秋縋先生『君の話』読書感想文
地球上で一番こわいホラー映画といえばM・ナイト・シャマラン監督の『シックスセンス』だということに異論のある方はいないでしょう。
異議ありと挙手をされている人もいるかもしれないので、少しだけ補足させてください。
それは『昔々』ではじまり、『悲しい話だと思いませんか』でおわります。
昔々、どれくらい昔かといえば20年くらいむかし。
その日、私は学校の友人と人生史上最初で最後の大げんかを繰り広げ、勢いで飛び出し、理由もなく山手線をぐるぐる回っていました。
いらいらする。
もう誰でもいいし何でもいいので、このいらいらをしずめてほしい。
ずっとそんなことを考えていました。
いつの間にか外は夜。
私は普段なら絶対にやらないであろうことをすれば気分転換になるのではと思い、新宿か池袋でおりて、映画館に向かいました。場所があやふやなのは、どっちの映画館だったのか、ちゃんと覚えていないからです。もしかしたら渋谷だったかもしれません。
しかし、その後に起きたことは今でも昨日のことのようにはっきりと記憶しています。
『シックスセンス』
当時、世界中で大ヒット上映中だったホラー映画です。
私は映画館でホラーを見るくらいなら、映画館でポルノを観ていたら、たまたま隣の席に座っていたのがひそかに想いをよせているクラスでもそれなりにかわいい女の子で、その子に見つかってしまい変態呼ばわりされ、学校中にバラされて卒業するまで毎日欠かさず全校生徒から干からびたカエルを投げられるほうがマシと思うくらいホラーがダメな人間です。
その私が、率先してホラーを見ようとしているのです。
歴史的偉業といって過言ではないし、実際、本気でどうかしていたのです。
チケットを購入して劇場入り口に並びます。
上映開始、十数分前。
劇場の扉が開き、一足先にシックスセンスを堪能した人たちが出てきます。
その最後尾は大学生か社会人くらいの若い男女のカップルでした。
二人はひどく、いちゃいちゃしています。
私は相変わらず、いらいらしています。
カップルの男が立ち止まり、並んでいる私たちに目を向け、不適に微笑みます。
男は意気揚々と口を開きます。
「みなさんにお伝えしたいことがあります、この映画、実は──」
ダイハードで主人公を演じた人が出てくる程度の知識しかなかった私でも、男が口にしたそれは、この映画の重大なネタバレだということはすぐに察することができました。
シックスセンスをご覧になった方ならご存じかと思いますが、この映画は冒頭にネタバレ厳禁という趣旨の注意書きが表示されます。
約束を守れないやつは最低であり、派手にネタバレをした男の頭を斧で叩き割ることもせず、けらけら笑っている女も最低です。
最低の男と最低の女。だから二人は付き合っていられるのでしょう。
てめえ、今なに言いやがった!?
私の隣にいた高校生くらいのお兄さんが声を張り上げます。
テリーボガードと同じ色の髪をしていた彼は、目の前のネタバレ男に勢いよくエンカウントしていきます。
ハプニングに遭遇すると人は本性をあらわすといいます。
テリーはネタバレを食らうと激怒するタイプのポケモンだったようです。
一方のネタバレ男も攻撃コマンドで迎え撃とうとします。
隣にいた彼女をつかみ、テリーにぶつけます。
ファイティングバイパーズに出てくるバンの投げ技に近いモーションです。
ネタバレ男から投げられた女をテリーはパリィで弾きます。
女は床に倒れ、テリーはネタバレ男の服を掴みます。
ネタバレ男はレバガチャでテリーを振りほどき、すかさず超必殺技のコマンドを入力します。
体力が残りわずかで必殺技ゲージもたまっていないときのみにつかえる最後の手段。
レバーを下に入れっぱなしで、全てのパンチボタン、キックボタン、スタートボタンを同時押しで発動する奥義──DO・GE・THE
すみませんでした──!
ネタバレ男の悲鳴にも似た謝罪が映画館に響きます。
今の時代なら動画に撮られてSNSにアップされて世界中にシェアされる感じのやつです。
謝って済む問題じゃねえだろ、俺らもう映画楽しめねえじゃん。
すみません、チケット代、弁償させて下さい。
ねたばれおとこ は しゃざい と ばいしょう を はじめた
お金をあげるといわれて拒否したのは人生初のできごとでした。
だって、なんかもらったらダメな気するじゃないですか。
他の人も、受け取ろうとはしません。
だったら、ちょっと待っててください。
ネタバレ男はそういうと、床でうなだれて泣いていた彼女を立ち上がらせて、どこかに消えました。
逃げたか、警察を呼んだか。
答はどちらでもなく、男と女は大量のポップコーンとドリンクを両手に抱えて戻ってきました。
みなさんで召し上がってください、と言ってくるのです。
知らない人から食べ物をもらってはいけないと教育されてきたので、それも受け取れません。
劇場前に並んでいたのは五人くらいだったのですが、全員、受け取りません。
男と女の手には着信拒否されたビッグサイズのポップコーンとドリンクたち。
ちょっとした笠地蔵のようです。
テリーは言います。
もうさ、こういうのいいからさ、俺らの記憶消してくれよ。
ネタバレ男は、え? と困惑の表情。
おめえのせいで映画楽しめなくなったんだからさ、記憶消してくれよ。それでチャラでいいよ。
ヤンキー特有のむちゃな理論攻撃です。
明らかに自分に非があり、逃げようのない状況におちいったとき、誰もが取るおなじみの行動があります。それはネタバレ男も例外ではありません。
すなわち、うつむいてもじもじする、です。
そんなネタバレ男の後頭部を女のバッグが直撃します。
このアホ、このアホ!
ザンギエフのダブルラリアットみたいな動きで回転しながら男をバッグで殴りつづける女。
俺たちはこんな扱いを受けるために生まれてきたんじゃない。
床で倒れたポップコーンとドリンクからそんな憤りが聞こえてきます。
それはまさに一石二鳥と一期一会の次に小学生が習う四字熟語と同じ状況でした。
すなわち、地獄絵図。
何度も何度も男の後頭部を殴る女。
男の口から白い骨の破片のようなものが飛び出したように見えました。
それが何なのか今でもわかりませんが、たぶん、飛び出してはいけないパーツなような気がします。
そうこうしている内に上映の時間となり、終わりよ、これで私たち終わりよ! と泣き叫ぶ女の声を後ろに劇場に入っていきました。
あの二人、どうなったんだろう。
上映中、そのことばかり考えていたのは私だけではないはずです。
映画に関していえば、ネタバレ男の言ったことは真実でした。
実はブルースウィリスは地球だったのです。
だけど、そんなことはもうどうだっていいのです。
この日以来、シックスセンスの名前を見聞きするたび、あのときの男と女の絶叫が脳裏にこだまするのです。20年近く経った今でも。
シャマラン監督、すごい。
わずか数時間のできごととはいえ、あの日の体験には人生の教訓がふんだんに盛り込まれていました。
まず、人生には何が起こるかわからないということ。
昨日は夜中まで一緒にスマブラやってた友達と間もなく絶縁レベルのケンカをするなんて、冗談でも思わなかったでしょう。
ネタバレカップルは、これから素敵な夜を過ごすことに疑いを持っていなかったはずなのに、たった一言のあやまちで二人の将来をふくめ、全てが霧散したことでしょう。
そして、強い願いは必ず叶うとわかりました。
とにかく私はどんなことでもいいから自分を支配しているいらいらから解放されたいと祈っていました。
手段を選ばず、それは叶えられました。
もはや、友人とのことなど、どうでもよくなっていました。
これが引き寄せの法則ってやつなんでしょうか。
だとしたら、私は祈り方を間違えていました。
いらいらをどうにかしてほしいではなく、五億円もらえる、にするべきだったのです。
そうすればストレス発散と同時にお金持ちにもなれて私は最高にハッピーです。
何より覚えておくべき教訓は、有利な立場にいるとき、得てして人は間違った選択をしがちということです。
ピクサーの社長エド・キャットムルはスタートアップで新しい企業の立ち上げを成功させ、雑誌の表紙を飾った新時代のリーダーたちの多くがその成功後、次々と「誰が見ても明らかなつまらないミス」をして業界から去っていく傾向が強いことに首をかしげ、その理由を突きとめるための研究をはじめ本まで出しました。
にもかかわらず、相方のジョン・ラセターはセクハラで会社を去りました。
アベンジャーズ・インフィニティーウォーで万能な力を得たサノスは資源問題を解決するために、惑星の人口を半分に減らそうとします。
その万能な力で、なぜ資源問題そのものを解決しようとしないのか? というのは、映画を観た誰もが突っ込むポイントです。
目先の目的にとりつかれ、大局を見失う。
最高の恋人が隣にいて、実にいい気分だ。おやおや? あそこにひとりぼっちで映画を見にきているかわいそうな人たちが何人かいるぞ。よし、やつらを煽って彼女にかっこいいところを見せてあげるとしますか。
「みなさんにお伝えしたいことがあります、この映画、実は──」
もう一度いいます。
有利な立場にいるとき、得てして人は間違った選択をしがちになります。
悲しい話だと思いませんか。
一曲聴いてください。
『君の話』オリジナルサウンドトラックより
『weight』
ヤンキーから記憶を消せとすごまれたネタバレ男ですが、どちらかといえば記憶を消したかったのはネタバレ男のほうでしょう。
これから感想を語らせていただく『君の話』も、そんな記憶を消したい青年の物語です。
さて、ここに一枚の写真があります。
『君の話』発売当日にとある大型書店さんで撮影したものです。
肖像権などの関係でお見せできなくて残念ですが、イメージしてください。
大きな本屋さん。
入ってすぐの場所に特設テーブルが用意され、そこに大量に平積みされた『君の話』と、これまで発売された三秋縋作品たち。
三秋縋特集が組まれています。
そこに大勢の若い女性たちがいます。
三秋先生は若い女性に支持されている方だとよく聞きますけど、本当に若い女性しかいなくてちょっと笑ってしまいました。
アニメイトのBLコーナーより若い女性率高かった気がします。
そこに私が入っていこうものなら、どうしたおっさん迷子か? 刑務所だったら店を出てすぐ横のコンビニで店員に包丁を振りかざせば、おまわりさんがパトカーで迎えにきてくれるぞ。
とでも言われそうな雰囲気があります。
ところで、写真の隅に児童文学のコーナーが見えますよね。
そこに幼い少年と少女がいるじゃないですか。
一見どこにでもいる少年少女でありますけれど、実はこの二人は特別な二人なのです。
二人は生まれながらにして幸運に祝福されていました。
喜怒哀楽の喜と楽だけを浴びて生きてきたのです。
少年の目は特別で、危険なものを察知する力を宿し、日常に蔓延するあらゆる厄災から少女と自分を守っていました。
少女は存在そのものが祝福の化身であり、彼女の姿を目にしただけで、誰もが心に愛を芽ばえさせ、優しく誠実であろうとするのです。
そんな二人を数メートル離れた筋トレ本コーナーから忌々しく見つめる一人の男がいます。
彼は魔女男。
彼の両親は我が子を立派な魔女にしようと、子を授かる前からくわだてていました。
それは生まれてきた赤ん坊が女の子ではないとわかってからも揺らぐことはありません。
彼は立派な魔女に育て上げられました。
しかし、魔女社会はそんな彼を魔女とは認めません。
だって、彼は男だから。
魔女社会は人間社会と違い、まだそこまでポリティカルがコレクトネスしていなのです。
魔女たちのお茶会に呼ばれることのない彼は孤立し、その心は瘴気に支配され、喜びや祝福という概念を憎みはじめます。
やはり筋肉だ。筋肉だけは自分をうらぎらないと筋トレ本のコーナーで立ち読みをしていた彼の前に、生まれながらに祝福された少年と少女が見せつけるように現れたのです。
魔女男は怒りを覚えます。
生まれる前から不幸を背負わされた自分のような男がいる一方で、生まれつき幸運に恵まれた子供たちがいる。
不公平などという言葉では生ぬるい。これは差別──いや、これこそ悪だ、と。
魔女男は祝福の少年少女に近づきます。
男の危険性を察知した少年は手を広げて立ちふさがります。
男は不気味に笑います。
こわがらなくていいよ。何もとって食おうってわけじゃないんだ。ただね、おじさんは教えてほしいんだ。おじさんみたいに赤ん坊のときから愚かな家族と閉鎖的な社会の鎖にしめつけられて自分の力ではどうしようもない悪夢に溺れるやつがいる一方で、きみたちのように生まれつき祝福と幸福を謳歌している存在もいる。ぼくときみたちの違いはなんだい? 好きな食べ物? 血液型? 視力?
少女は男に答えます。
あなたが自分を不運だと思うのは、それはあなたが自分を不運だと思っているから、それだけよ。つらいこと全部を家族や周囲のせいにして、できないことから逃げてるだけ。いいえ、できないではなく、やらない理由にしているだけ。あなたにとってスタート地点でつまづいたことは人生から目を背ける都合のいい言い訳なのよ。本当はその苦しみが心地いいんでしょ?
魔女男は嬉しくなりました。
なんという模範解答。まさしく『もってる側』の理屈。パンがないならお菓子を食べればいいのにと首を傾げられたような、間違っているのはお前のほうだと決めつけられる絶望。
ギロチンがあれば首をはねられたい衝動に駆られます。
ありがとう、お嬢さん。とても胸に響いたよ。ところで一つ教えてくれないか。きみは彼のどんなところが好きなんだい? 全部っていうのはナシだよ。例えば今日の彼はどこが素敵なんだい? おじさんに教えておくれ。
少女は答えます。
今日の彼は歌声が素敵だったわ。彼は毎朝、私のためにお歌をうたってくれるの。今日の歌はいつもよりとてもとても感動的だったの。
魔女男はおおげさにうなずきます。
なるほどなるほど。ところで少年、これはなんだと思う?
男は少し爪の伸びた左手をひらいて、そこに右手の人さし指を向けています。
少年は短く、手? と答えました。
正解。
そう言うと男は右手の人さし指を少年にむかって、ピンと弾きました。
魔女男の爪が、少年の舌に刺さります。
魔女男は言います。
心配しなくてもいい。別に毒が塗ってあるわけでもないし痛くもないだろ? ただし、その爪が取れない限り、きみは永遠に歌をうたうことはできない。そして、もし二十歳になるまでその爪が取れなければ、きみは死ぬ。そういう魔法がかけてある。
少女は叫びます。
ひどい。どうしてそんなことをするの?
それが世界の不思議だよ、と魔女男は言います。
ぼくの不幸な生い立ちに理由がないのと同じさ。きみたちはこれまでずっと幸福の中で生きてきたんだろ? かわいそうだから、ぼくの災いを少しわけてあげたんだよ。
下品に笑う魔女男に対して、意外にも少年は冷静でした。
どうすればこの爪は取れるんですか?
いい質問だね、と魔女男は笑うのをやめます。
きみたちは祝福の申し子だ。例え何があっても世界はきみたちに豊かな視線をおくりつづけるだろう。だからね、ぼくはこういう魔法をかけたんだ。
世間がきみたちに『あわれな視線』を向けたとき、きみの舌から爪は抜け落ちる。
せいぜい、がんばりたまえ。
それだけ残して、魔女男は『一日五分で見る見る変わる肉体改造』『今度こそあきらめない。絶対つづけるダイエット』『ブルワーカー入門』の三冊を購入して去っていきました。
あわれな視線を向けられる。
祝福の子供たちにとって、それは予想外の難題でした。
例えば、二人はわざと水たまりで転んでドロまみれになりました。これで大人たちは自分たちをかわいそうと思うに違いないと考えました。
しかし街の大人たちは、ドロだらけの子供を見て、いつの間にか忘れてしまった童心や、無邪気に笑っていた少年時代、叶わなかった幼い日の夢などを思いだし、優しくもせつない瞳で二人を見つめたのでした。
だったら悪いことをしようと、二人は万引きに手を染めました。
コンビニでチョコをポケットにしまいます。
何食わぬ顔で外に出ようとすると、お客様、ポケットの中を見せてもらってもいいですか?
と店員さんに呼び止められます。
これで叱られて警察に突き出されでもすれば、世間は自分たちに失望して、あわれな目で見てくれるに違いないと確信しました。
こ、これは! きみたちはわかっていてやったのか?
予想以上の店員の驚きが少し引っかかったものの、その後二人は店員の連絡で呼ばれたパトカーに乗せられて、警察署に連行されました。
翌日、二人はまだ警察署内いました。
残念なことに牢屋ではなく、広報室という広いスペースで署長から表彰されていました。
どうやらあのチョコレートには爆弾が仕掛けられていたらしく、勇敢な二人は店内の人たちを混乱させまいと、そっと外に持ち出そうとした。そう受けとられてしまったのです。
二人は英雄をたたえるような視線に包囲されていました。
祝福の力をなめてはいけません。
その後、二人はありとあらゆる愚かな行為に手を染めたものの、全て好意的に解釈され、祝福を受けつづけたのです。
そして月日は流れ、明日は二十歳の誕生日。
二人は取り乱すことも絶望することもなく、ほほえみあっていました。
出会えたこと、ずっと一緒に生きられたことに感謝していました。
二人は知っていたのです。悲しみから目を背けるのではなく、喜びだけを見つめていれば世界は敵でないことを。
でも……。
はじめて少女は弱音を口にします。
やっぱり少しこわい。あなたを失った瞬間、私は恐怖に飲み込まれて立ち直れなくなるかもしれない。
だったらリハーサルをしないか? と少年は提案します。
リハーサル?
いま街で話題になっている、おそろしい舞台があるだろう? これからそれを観にいって、こわがる練習をするっていうのはどうだろう?
少女は笑いました。
素敵な提案ね。じゃあ、いきましょう。
それは評判どおり、おそろしい舞台でした。
しかし、二人はおびえるどころか、あたたかな気持ちでいました。
失う恐怖ではなく、これまでの感謝、そしてこれからの希望が見えたのです。
おそろしい劇を体験した人々は震えながら劇場から出て行きます。二人だけは美しい詩の朗読会に参加してきたかのように、優しく寄りそい合い劇場から出ます。
そのとき、危険を察知する少年の瞳が、かつてない厄災を探知しました。
同時にミサイルで撃たれたような衝撃的な天啓を得ます。
まさしく、今しがた観た劇のタイトル通り、第六感が働いたのです。
少年は叫びます。
「みなさんにお伝えしたいことがあります、この映画、実は──」
予想通り怒り狂った金髪男からの暴力をあえて浴びて、少年と、少年の意図に気づいた少女は道化を演じ、世間は二人にあわれみの視線を向けました。
勢いよく少年の後頭部をバッグで殴りつける少女。
次の瞬間、十数年間自分を苦しめてきた魔女男の爪が、少年の舌から抜け落ちました。
彼は、二人は、救われたのです。
少女は叫ばずにはいられませんでした。
終わりよ、これで私たち終わりよ!
苦しみの日々に終わりを告げたのでした。
Fin
──以上が、三秋縋先生の『君の話』のおおまかな感想です。
一曲聴いてください。
『君の話』オリジナルサウンドトラックより
『オレンジ』
至近距離から二万発くらい撃ったマシンガンの弾を全部はずしたような的を射てない感想に最後までおつきあいいただきまして、ありがとうございました。
書いてて楽しかったです。
一応、補足というか解説というか言い訳をしますと、難しいんですよ、君の話を語るのは、どのポイントからスポットをあてるのが正解なのか。
運命の二人、偶然と必然、操作、あるできごとを二つの視点でみることで観測できる真実、サイエンスフィクション、などなどなど。
構成要素が豊かすぎるんですよ。
そんな人、この世にいないと思いますけど、まだ『君の話』をご覧になっていない方はこちらで一話が無料公開中なので、ただちにお読みください。
引きが卑怯なので、読了と同時にKindle版を買ってるか本屋さんに走ってるはずです。
せっかくなので、レビューサイト等で本作に寄せられている低評価意見について、自分なりの意見をいわせてください。
本作への低評価意見は基本的にこの二つです。
村上春樹じゃん。
『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』じゃん。
要するに作品の雰囲気が村上春樹に似ているのと、ストーリーも村上春樹の『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』を想起させるのが気になると。
恥ずかしながら、私、村上春樹先生の作品を読んだことなくて、インタビューで三秋先生が本作を書くうえで影響を受けたと語られていたので、それで買って読んだんですよ。
『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』を。
まず『君の話』を読んで、次に『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』を読んで、それからもう一度『君の話』を読んだんですよ。
なるほど、がっつり影響受けてるなと。
『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』なんですけど、むちゃくちゃ良かったですよ。未読の方、いらっしゃいましたら絶対読んだほうがいいです。
数ページの短い物語なんですけど、この作品で作者のファンになってしまうような、とてつもなく魅力的な体験です。
影響は公言しているし、似ているといってもコピー的なものではなく、敬意を払ったうえで、ちゃんとオリジナルとして昇華されていますし
わかりやすくゲームで例えるなら塊魂とDonut Countyの関係に近いと思いました。
ただ、それでも低評価をつけた方の意見もわからなくもないんですよね。
これっていわば好きなアーティストの新譜がベストアルバムやカバーアルバムだったときの心境なんだと思います。
今回の場合は、トリビュートアルバムとするのが妥当かもしれません。
まあ、完全新作を聴きたいですよね。
でもですね、最高のニューアルバムを出すために、今回のアルバムは必要不可欠なんですよ。
本作にはもしかしたら三秋先生自身も気づいてない、ある種の暴露療法的な側面があると思います。
三秋縋ベストとでもいうべき本作には、これまでの三秋先生の全部が入っています。
そこにはおそらく個人としての『好き』や『趣味』に該当するものも含まれていて、この物語を読んでいるとき、私小説のようなわがままさを覚えた人は少なくないんじゃないでしょうか。
それでもちゃんとエンターテイメントとして成立させているあたり、三秋縋おそるべしなわけでして。
『君の話』というタイトルの本作は全12章で構成されています。
11章のタイトルが『君の話』で12章のタイトルは『僕の話』です。
『君の話』といいながら『僕の話』で終わるんですよ。
ここまで読んでくれてる奇特な方でネタバレして怒る人はいないと思いたいですけれど、一応、ここから終盤のネタバレ入りますので未読の方はご注意ください。
最終章『僕の話』で主人公の青年は、自分には資質がないと思っていたあることで、誰もなし得なかった成果をあげています。
興味深いのは、発売記念のインタビューで三秋先生は早川書房から依頼があったことに、自分の作風で受け入れられるのか疑問だったと答えています。
それで出版してヒットしているこの現状。
リアルと物語の奇妙なリンクがなんだか楽しいです。
だから、ふと、『僕の話』における『僕』とは、三秋先生自身をさしているのでは? と思えてならない瞬間があるのです。
『君の話』は三秋縋のこれまでの全てが収録されて集約された最高の一冊であることに疑いの余地はないでしょう。
それは同時に新たなスタートとなる次回作がとてつもない傑作になることに疑いの余地はないということでもあります。
期待せずにはいられません。
最後に聴いてください。
『君の話』オリジナルサウンドトラックより
『キミの記憶』
ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました。
私はこの方のキャッチコピーが一番秀逸だと思いました。
ちなみに私の考えたキャッチコピーは
『増税前の今こそチャンス』ですね。
昔々、あるところに祝福に愛された二人の子供がいました。
祝福に愛された二人は、その祝福の強さで、いかなる困難も、ものともしません。
そんな二人は当然のように愛し合い、子供を授かりました。
この子は自分たち以上に祝福された存在になるに違いない。
しかし、両親の期待もむなしく、祝福された二人から生まれた子供は、祝福されてはいませんでした。
体が弱く、うまくしゃべることも、じょうずにあるくこともできません。
まだ六歳にもならないのに、家にいる時間より、病院にいる時間のほうが多いくらいです。
ある夜、子供はおびえるように強くふるえて、それがとまりません。
お医者さんは両親にこう告げます。
覚悟をしてください。
病院の屋上で両親は叫びます。
神よ、いるなら聞いてください。私たちはじゅうぶんすぎる祝福を受けてきました。
もう私たちには何もいりません。だから私たちの祝福を全て我が子にそそいでください!
もちろん、それに答える神などいません。神はいないのですから。
屋上から戻ってきた両親を待っていたのは、もう動くことのない我が子の姿でした。
いつまでも祝福がつづくわけなどない。
それは当然のこと。それでも、こう思わずにはいられない。
悲しい話だと思いませんか。
翌日、病室近くのソファーで目を覚ました両親の前に、何か信じられないものを見たような目をしたお医者さんが立っていました。
病室の中から幼い、でも楽しそうな声が響いてきます。
扉を開けると
あっ、パパ、ママ、おはよう!
我が子が
上手に喋っている。
元気にうごいてる。
夢を見ているのだと思った。
でもそうではないとわかっていた。
これは一体、何が起きたんですか?
両親の問いに医師は、こんな言葉は使うべきではないのかもしれませんが──
──奇跡としか。
我が子の体はどこも問題がなく、健康すぎて逆に手を焼くことになるかもと、嬉しい心配までもらいました。
ふと、ベッドのそばに見覚えのない綺麗な封筒があることに気づき、手にとって開封する両親。
そこには一枚の手紙と、二枚の写真がそえられていました。
手紙にはこうあります。
手紙のほかに二枚の写真。
一枚は魔女の姿をした男たちが楽しそうにお茶会を開いているもの。
もう一枚は、バッキバキに割れた、それはそれは見事な腹筋でした。
Fin