デスク!!!!!
私の後ろに女の子。
私の前にも女の子。
女の子にサンドイッチされた私。
放課後の教室、幸福なひととき。
しかし、うららかな私の気分とは裏腹に、私を挟んでいる少女たちの心情はそうでもないらしい。
吾輩は猫である、という有名な物語の有名な書き出しがある。
私の背後にある黒板に毎年書かれているので、いやでも覚えてしまう。
あの物語にならえば、さしずめ私の自己紹介は──吾輩は教壇である、ということになるのだろう。
名前はまだないどころか、いっぱいある。
エリザベスだったり、ツッキーだったり、机子さんだったり、ドリュドリュだったり──女子高校生たちのネーミングセンスにルールなどない。全て、その日の気分だ。
ドリュドリュって何?
さて、意識を今この瞬間に戻そう。
私の前方にいる少女は余裕の表情を浮かべ、どこか挑発的な視線を前に向けている。
艶やかな黒髪には不規則にピンクのメッシュが走り、背中にある小さな鞄にはコウモリの翼みたいなアクセサリーがついている。それらが、彼女を小悪魔的に演出している。
その少女の視線の先にいる少女も負けじと強い視線を返しているものの、あどけなさのまったく抜けていない大きな瞳に気迫などなく、制服の上に羽織っている白衣も、本人は大人の科学者ぶってそうしているのだけれども、誰の目にも、お医者さんごっこでもしている子供にしか映らない。
そんな白衣の少女が緊張した面持ちで口を開く。
「──せ、せんぱい」
それを受けて先輩少女は、ゆったりと言葉を返す。
「なあに? 後輩ちゃん」
後輩ちゃんは言った。「私と付き合ってください!」
先輩ちゃんは言った。「だーめ」
後輩ちゃんは吠える。「どうしてダメなんです?」
先輩ちゃんは答える。「理由は昨日、言ったよ?」
「私の見た目が好みじゃないんですよね?」
「ちゃんと覚えてんじゃん」
「外見至上主義反対!」
戦争反対よりも強い口調で抗議する後輩ちゃん。
「後輩ちゃんは、どうして私のことが好きになったの?」
「一目ぼれです! 先輩、かわいすぎです!」
「めちゃくちゃ見た目重視じゃん」
「た、確かに最初は外見に惹かれましたけど、でも、先輩のことずっと見てるうちに、先輩の内面とか、普段の何気ない優しさとかもわかってきて、気づいたら、先輩のことぜんぶぜんぶ、本当の本気で好きになってたんです!」
「ふうん」相変わらず挑発的で相手をもてあそぶような目つきと口調で先輩ちゃんはつづける。「嬉しいこと言ってくれてるけど、だけど私の気持ちは変わらないよ? 後輩ちゃんの見た目、好みじゃないんだよねえ」
「自分より背が高くて、スーパーモデルみたいな体系で、イギリスの諜報員みたいな雰囲気の大人の女性──それが先輩の理想の相手なんですよね?」
先輩ちゃんより背が低くて、スリムだけど子供っぽい体系の、ザ・日本の女の子としかいいようのない見た目の後輩ちゃんは確認する。
「そうだよ?」ちゃんと覚えててえらいね、と幼稚園児をほめるような仕草をする。
そこで後輩ちゃんは、どういうわけか不敵に笑う。
「言質、いただきましたよ?」
「うん? 現地? 後輩ちゃんはどこかに行きたいの?」
首をかしげる先輩ちゃんをよそに、後輩ちゃんは白衣のポケットから白い錠剤を取り出し、それをぺろりと飲み込んだ。
「あ、後輩ちゃんズルい。お菓子持ってるなら私にもちょうだい──あれ? 後輩ちゃん大丈夫? 背中から煙出てるよ?」
一体全体どういう仕組みなのか、後輩ちゃんの背後からモクモクと出現した煙は、彼女をプレゼントみたいに包み込み、数十秒後、霧が晴れるように、煙は散った。
そこから現れたのは──。
「誰?」先輩ちゃんは首をかしげながら訊ねる。
「私ですよ、先輩」
声は後輩ちゃんのものでも、その姿は先輩ちゃんよりも高い背丈と長い金髪で、まるでスーパーモデル。
身に着けている衣類も先輩ちゃんと同じ制服だったはずなのに、上半身は青のシャツと白衣で、下半身はタイトスカートにタイツとなっている。煙の中で着替えたのだろうか。
「さあどうです先輩。先輩の理想通りになりましたよ? これでもう私と付き合うしかありませんよね?」
「すごいね後輩ちゃん、どんな手品使ったの?」
後輩ちゃんの要求はさらりとかわして、彼女の身に起きた謎を解き明かそうとする先輩ちゃん。
「手品ではありません、科学です」
「そういえば後輩ちゃん、めちゃくちゃ頭よくて、よく表彰とかされてるし、よくわからない特許とかいっぱいもってるんだよね」
「今はそんな話、どうでもいいです。さあ先輩、私とお付き合いしてください」
「うーん、確かに見た目は好みっぽくなってくれたけど、それで付き合ったら、それこそルッキズムじゃん? 人間やっぱり中身だよね。私、お料理できないから家庭的な人が好きだな」
その言葉を予見していたかのように不敵に口角を上げる後輩ちゃん、その顔でその表情は本当にイギリスの諜報員みたいで冷徹な緊張感がただよう。
「では先輩、先輩の好きな食べものと苦手な食べものを教えてください」
「私、ハヤシライスが好きだな、おいしいから。で、嫌いなのはカレーだよ、辛いの苦手なんだ。甘口もダメだよ。そもそもカレーの甘口って意味不明だよね」
「知ってますよ。先輩の好物も嫌いなものも調査済みです」
「じゃあ、なんで訊いたの?」
これには私も先輩ちゃんと同意見。
「先輩、こちらを召し上がってください」
後輩ちゃんはどこからともなく取り出した容器を私の頭上──すなわち教壇の上に置く。
テイクアウトの器に入った、カレーライスだ。
「いじわるいよ、後輩ちゃん。私、カレー食べられないって言ったよね? それにこれ、めちゃくちゃ辛そうじゃん」
それは間違いない。匂いだけで激辛が伝わってくる。
「こちらは世界に一店舗しか取り扱っていない究極の悶絶辛辛カレーです。ハバネロ、ジョロキア、キャロライナ・リーパーをふんだんに使って、総スコヴィル値は一億を超えています。料理するだけで周辺が辛さに浸食されるため、厳重な空間で防護服を着用していなければ調理できません。ちなみに一般的な辛口カレーのスコヴィル値は700程度といわれています」
「そんなの食べたら死んじゃうじゃん」
「死にはしません、こうなります」
後輩ちゃんは用意していたスプーンでカレーを一口ぶん、口に運ぶ。
次の瞬間「ふぎゃー」という絶叫と共に、後輩ちゃんは爆発した。
比喩的表現ではなく、本当に弾けたのだ。
「後輩ちゃん……だいじょうぶ? じゃないよね?」
「こ、このように……体中の細胞が拒絶反応を起こして、爆風に煽られたような状態になります……」
「私、食べたら爆発するカレーと、カレー食べて爆発する人を見たの、はじめてだよ」
私もだ。
「当然、こんなものを先輩に召し上がっていただくわけにはいきません……だけど、世の中なにが起きるかわかりません。先輩が飢えて倒れそうなとき、目の前にカレーしかないことだってあるかもしれません」
状況が限定されすぎてて、まったくイメージできない。
「そんなときは、こちらをお試しください」
そう言うと後輩ちゃんは白衣のポケットからオレンジ色のカプセルを取り出し、それを激辛カレーの中に落とすと、カプセルは溶けて広がり、悪夢のような辛い気配は消え去り、おだやかな香りが充満する。
この匂いは──。
「あ、ハヤシライスだ。いい匂い」
それにさそわれて、先輩ちゃんは、ハヤシライスを一口、ぱっくん。
「ん! すごい! おいしい!」
先輩ちゃんは幸福に包まれた笑みを浮かべる。
「はい、ミシュランで三ツ星のお店のハヤシライスを再現しています」
「後輩ちゃん、天才!」
「ありがとうございます! 先輩、付き合ってください!」
「だーめ」
ニコニコしながらも、両手を交差させバツの字をつくってみせる。
「どうしてですか! わかりました、こうなったら最後の手段です……!」
覚悟を決めた瞳で後輩ちゃんが白衣のポケットから取り出したのは──え? それは本当にダメなやつじゃない?
「後輩ちゃん、なんでそんなの持ってるの?」
黒い鈍色の鉄の道具──拳銃。
「せ、先輩がわるいんですよ……私だって、こんなこと、できればしたくないですよ……」
「思い通りにならないなら、いっそ殺してやるぞ的な?」
「とんでもない! 先輩にそんなこと死んでもしませんよ。この拳銃はただの薬入れです」
紛らわしいにも限度がある。
後輩ちゃんは拳銃型の薬入れから銃弾型の薬を取り出し、先輩に握らせた。
「これは?」当然、先輩ちゃんは訊ねる。
「惚れ薬です。それを飲んだら一瞬で先輩は私にべたぼれですよ」
そんなもの作れるものなのと思ったけれど、体格を変化させたり、激辛カレーをおいしいハヤシライスに変化させる薬を作るよりは容易いように思えた。
「わかった、いいよ」
先輩ちゃんは、あっさりとそれを飲み込んだ。
これは意外だった。間違いなくのらりくらりと拒否すると思ったのに。
ところで、惚れ薬とやらの効果はいかなるものなのだろう。
急に抱きついて、耳元で愛の言葉を並べ、夢中でキスなどしてくるのだろうか。
そんな変化が訪れるのを期待して、そわそわしている後輩ちゃんだったが、いつまで経っても先輩ちゃんは先輩ちゃんのまま、小悪魔的にニヤニヤしながら、私の頭に肘をついて後輩ちゃんを見つめている。
「……なんで? どうして先輩に効果がでないの? 他のみんなは一瞬で私のこと好きになったのに……!」
「ああ、今日、学校のみんなが後輩ちゃんに夢中だったの、あれ後輩ちゃんのせいだったんだ。ダメだよ、みんなで実験したら」
「どうして! どうしてなの?」
ついに頭を抱えて、後輩ちゃんはその場にうずくまってしまう。
「ねえ後輩ちゃん、一つ質問していい?」
「……いいですけど?」
「さっきのカレーをハヤシライスにするお薬あったでしょ?」
「はい」
「あれを普通のハヤシライスに入れたらどうなるの?」
「──? どうにもなりませんよ? ハヤシライスのまま、変わったりしません」
「だよね。ハヤシライスにハヤシライスの薬入れても、意味ないよね」
「はい……そうですけど?」
質問の意図を汲み取ることができず、後輩ちゃんは疑問符を浮かべている。
「うーん、私いま、けっこう強めの勇気をつかったんだけどなあ……」
相変わらずポーカーフェイスの先輩ちゃん。だけど彼女の肘があたってる私の頭では、それを感じることができていた。
どくんどくんどくんと、今にも破裂しそうな少女の鼓動を。
「……先輩?」
これだから青春ってやつは。
もう少しこの二人をここでじっと、尊く見守っていよう。
fin