M!DOR!さんのこと

函館には21歳から26歳までの5年間住んでいただけだが、ちょっとおかしな人の集まる磁場のようなものが働いていて、そういうものが今になっても続いている。

きっちゃんとの付き合いは、わたしがまだ函館の大学に通っていたころ、彼が突然、面識のない私に連絡をしてきて、呼び出されたアンティークの家具が並ぶ喫茶店で夜通し話し込んだときから今まで続く。

東京に来てから今までも、あれ以上の空間には出会っていない。

M!DOR!さんはそのきっちゃんが、昨年函館に招聘して個展を主催するという話を聞いて知った。

彼女のコラージュは、本物のアンティークの書籍や図録を切り貼りして作られており、箱、ガラスのドーム、試験管などに封じられた立体作品は、幼いころに海苔の缶いっぱいに入った小さなおまけやスーパーボール、拾って来た石、松ぼっくり、そんなものを並べたり、眺めたりしていた頃のことを思い出す。

彼女の作品についてはふたつの大胆さ、があると思う。

一つはその空間の切り取りかた、迷いなく空間を分割するその手法は確信めいており、時には意図的に傾けられて配置されたオブジェクトなどは、重力の喪失、あるいは日常空間の軸を巧みにずらす。またその次元も三次元、ときには四次元も自在である。

もう一つは、アンティークの書籍を切るということに対して。一度でもコラージュをやったことのある人ならばわかると思うが、ちょっとした雑誌でも切り抜いたあとに感じられる何かしらの喪失感や罪悪感。ましてやアンティークの書籍ならなおさらであろう。

だからそうした、作品に対する責任感は、作業の緻密さ、切り取りの正確さに表れているように思う。配置の妙はもちろんのこと、そこまでに到達するための鍛練あっての決断や確信が人を惹きつけるのであろう。あんまり深く話したわけでもないけれど、竹を割ったような性格を、作品から想像している。

はじめて彼女の展示を見に行ったところは小さなアクセサリーを置いてある店で、四面の壁のうち一つはとても綺麗な青に塗られていた。地中海的な明るさもあるけれどちょっと控えめな感じで、壁の色についてひとしきり話して帰ろうと思ったら、天井も実は、と呼び止められて見たら温かみのある珪藻土が塗ってあった。聞くと店主がひとりで塗ったものだという。

そういう丁寧な、身の回りのひとつひとつを大事にする人というのは集まってくるものなのかなと感じる。

いまは新宿ルミネのショーケースを展示しており、近いうちに見に行かなければと思っている。そういう大きなプロジェクトにかかわっている人が、自分の古い知り合いからつながってくるのは変な感じだ。こういう出会いは奇跡的な偶然の重なりで起こるものだけれど、そんな偶然がきっちゃんと会ってからあまりに頻繁に起きるので、あまり驚かなくなっている。

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