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【時をかける兵藤 ①事故のはなし】
小説が書けない。いい文章が思い浮かばない。
たまたま前作で書いていた本が賞を取ってしまっただけに、プレッシャーがのしかかりあれよあれよとスランプに陥っていた。
あれはランプの精に会ったこと、実体験を元にした小説だった。映画化、舞台化、ドラマ化…題材には困らない話題性があった。
しかしあのときの小説はライバルのほうが良い小説だった。僕みたいな飛び道具じゃない。ネットでもその意見のほうが多かったが、どうしても新人を見つけた、という手柄、話題性が欲しかったのだろうか。
原作者という肩書きだけではそこまで稼げず、もちろん毎日仕事をしている。この仕事は本当に誰でも受け入れてくれる肉体労働だから、バレないように偽名を使い生きる日々。仕事で体力を奪われ、ライバル作家には才能を見せられ、世間からは叩かれ…
もう疲れてしまっていた。
四畳半の寮。カビのような匂いのする布団の上に寝転んでいた。天井には雨漏りのようなシミが広がり、そのシミが部屋全体を覆い埋め尽くすような感覚になる。
隣の部屋からはテレビの音。くしゃみの声。
世間とつながるものはテレビとスマホとパソコン。あとは大量の小説が置いてある部屋。人付き合いは得意な方ではなくて、もともと友達も少なかった。そしてこの年齢になるとみんな部下をもって出世していてどうしても自分と比較してしまい、自己嫌悪になるのだった。
「結婚…出産…肩書き…どこの世界の話だ」
唯一といっていいほど、没頭できるものが小説だった。文章を書くことだった。自己満足のために書いたといったら綺麗事に聞こえるが、本当は、本当は小説で世界が変わるって思ってた。小説にハマった、僕の青春時代からの、世界が作られたように。
それがなくなってしまうとこんなにも生きていることが無駄だと思えるなんて。
いくらでも代わりがいる。
オサジマヤスナリでエゴサーチをする。
小説に対する評価だとか、あの人は今的な都市伝説や、何も知らないくせに擁護するファン、そして掲示板にはフリーター時代の万引きや過去のこと…情報なんて誰からも漏れるくらいとめどなく流れていた。
「はあ…地獄だ」
この地獄の日々から抜け出せるのなら、世界なんて変わらなくてもいい。
工場勤務でのいつもの休憩時間。だいたい食堂で食事を済ませたあと、休憩室で仮眠したり、本を読んだり、キャッチボールをしたり。
各々が好きな時間を過ごしている。
僕はというと食事を済ませたあと、あまり人のこない作業場の後ろで過ごしている。携帯をいじったり、小説を読んだり、缶コーヒーを飲みながらただ風を見ていたり。
人は相変わらず苦手だ。世間話なんてなんの意味があるのだろう。他人に興味もないし、自分のことも、別に他人は興味がないだろう。僕は主人公じゃない通行人D。
作業場の後ろ、いつもそこにはテツさんと呼ばれるベテランのおじさんがいて、新聞を読んでいる。
作業以外であまり喋ったことはないが、なにかいつもすべて覗かれているような、風格のある人だ。
僕はどう頑張ってもこんな男性にはなれないだろうな。
また勝手に自分と比べて、少し落ち込んだ。
携帯の中の、アイドルや芸人が眩しい。きらめきを売る彼らにも僕みたいな思いをしているやつはいるんだろうか。
「はあ…」
自然とため息が出て、同時に昼の始業のチャイムが鳴った。
わらわらとみんなが持ち場へ戻る。
午後の作業中、僕はトラクターを操作していた。
トラクターの荷台を下げる、作業員が荷物を載せる、トラクターを上げる、別の作業場へ運ぶ。
なんてことのない繰り返し作業。
頭の中では、ぐるぐると早く寮に帰りたいという思いだけが渦巻いていた。
レバーを上げて、右へ動かす、レバーを下ろす。
そういや、前に付き合ってためちゃくちゃな子、今何してるかなぁ。
レバーを上げて、左へ動かす、レバーを下ろす。
あの子と、あの子に人生を捧げた僕と、楽しかったこととそうでないこと。
レバーを上げて、右へ動かす、レバーを下ろす。
いまなにをしてるんだろう、また面倒見のいい誰かとハチャメチャなことをしてるのかな。
レバーを上げて、左へ動かす、レバーを下ろす。
めちゃくちゃな子だったけど、すごく好きだったなぁ、全部許せてたなぁ。
レバーを上げて、左へ動かす、レナーを下ろす。
でも時間を無駄にしたかも
「うっ!!!」
トラクターのそばで、荷物のサポートをしていた作業員が倒れた。周りに作業員が集まる。
「おい!エンジン止めろ!!」
慌ててエンジンを切った。
どうやら僕がリフトを誤動作してしまったらしい。コンテナに乗る荷物は合わせて2トン相当。
スピードもあり、頭に当たったなんて衝撃は相当なものだろう。
倒れた作業員は立ち上がらない。隣では監督が携帯で救急車を呼んでいた。
その時の僕といえば、なにもできずにトラクターのなかに座り込みながら今起きていることだけを見つめていた。
そして大変だと感じながらも、冷静に状況を客観視していた。
あぁ。やってしまったな、あの人大丈夫かな。あの子はいまも恋人がいるのかな。まだ仕事は続くのかな。帰りたいな。横になりたいな。風呂にも入りたい。ビール飲みたい。実家に帰りたい。恋人がほしい。金がほしい。本を書きたい。
「ヒョウドウ!」
ふっと香る花の匂い。周りの音がかき消されていく中で、その声だけが僕の耳にすっと入ってきた。トラクターに捕まり運転席へ入ってきたテツさんはなぜか涙を拭くように目を擦っていた。
「は、はい」
目に正気が戻る。
「お前一旦休憩して、14時からライン作業の方頼むな。」
「…はい。あの、あの人、大丈夫でしょうか…」
「大丈夫だ、一時的に気を失ったが痺れなどが見られない。もう目も開いているし意識もある。」
「良かった…」
「あと今日の夜空いてるか?」
「え?え、あぁはい」
「よかった、仕事終わったら待っててくれ」
そう言い残しテツさんは作業員が集まる方へと戻っていった。
休憩所で一息ついた。事故を起こしたのは初めてのことだった。
そして自分がここまで追い詰められているのか、ということにも気づいた。
人は人より下の人間を見て安心する。どっかのテレビで見たことがあるな。
今の自分より下の人間なんているのだろうかと、どんどん闇に吸い込まれて行く感覚があった。
ライン作業は単純で、でも闇の中をさまようには十分な時間だった。
幸い倒れた人はすぐに目を覚まし、病院で検査を受けたがなにもないようだった。
「病院代も勤務時間分も労災出るし、なんか休めた感覚だよ!」
がははと笑う彼は海賊みたいだった。
ああ、僕よりみんな強いなぁ。
大人、とでもくくるのだろうか。我慢して、相手の顔色をきちんと見て、適切な声のかけ方をしてくれる。
僕にはそれを見せつけられているような感じがして、まっすぐに好意を受け取れなかった。
作業が終わり着替えると、外でテツさんが運転席の窓を開けタバコを吸っていた。
「おう、おつかれ。行くか。」
助手席の鍵が開く音がした。
「お疲れさまです、、お願いします」
恐る恐るだが、助手席に乗った。
「腹減ってるか?」
「ええ、まぁはい。」
「良かった」
「…」
テツさんが車を運転し始めた。
会話を切り出したほうがいいのか、微妙な空気。
微妙な音量で流れている芸人のラジオが、空気を埋めていた。