7、洗い場のエイ君
7、洗い場のエイ君
キティちゃんTシャツにキティちゃんパーカーを着て、青いナイキのニット帽をかぶり今日もエイ君は朝早くに出勤してきた。事務所に入ると、キティちゃんのサンダルに履き替えて「重要書類が来てますよ」と言ってポストの中身を毎日私に渡してくれる。私の服装を見てスーツの日は「出張っすか?」、作業着の日は「今日は草刈りですか」とあまり関心がなさそうに、でも必ず聞いてくる。そしてユニフォームに着替えながらため息をつく。エイ君どうしたの?と聞くと「いえ、今日も負けられない戦いがあるだけっす」と答える。
エイ君は電話が大の苦手なのだ。ホールスタッフが出勤してくるまでの1時間くらいの間にキングコングにかかってきた電話は全てエイ君が対応しなくてはいけない。エイ君は電話で緊張するらしく、内容を覚えていない。メモも書いていない。あまりのテンパり具合に、相手が後で掛けなおしてくる。
そんなBI精神ど真ん中を突っ走るキングコングのムードメーカー、エイ君との日々にご案内しよう。
エイ君は特別支援学校を卒業後に、就労支援事業所で就職に向けたトレーニングを2年間行った。一生懸命ではあるが、こだわりも強くてなかなか就職へとは繋がらず、キングコングにやってきた。実習に来た時から、そのキャラクターは際立っていた。目線は合わせないが、遠慮がちに、でも声は大きく、元気はいい。そして会話の節々に、ジャッキーチェンの映画やプロ野球選手、漫画やアニメといった自分の関心が強いジャンルのキャラクターを交えてくるのだが、それがマニアック過ぎて話がややこしくなるのである。強い男性への憧れなのか、ジャッキーチェンやヤンキー漫画が大好きで、そのセリフを言いながら自分を奮い立たせる。「こんな所でへこたれてたら〇〇は倒せねーーぞーー」と気合いを入れたりしている。ホール清掃と洗い場を中心に担ってもらい実習の1週間が過ぎた。
その後、本人はキングコングで仕事をしたいと希望し、あらためて面接に来た。緊張しすぎてにやけてしまっているような表情をして、やはり視線を合わせず、両肩が上がっていた。店長の質問には同席した就労支援事業所のスタッフの顔をチラチラと見て正解を探しながら答えているように見えた。面接の最後に、就労支援事業所のスタッフが「この子は皿洗いだけさせてください、それだったら力を発揮します。人には向き不向きというのがあるので」と言った。
面接後、私も店長も「皿洗いだけさせてください」という言葉がとてもひっかかっていた。それはどういう意味なのか、皿洗いしかできない障害なんてあるはずないのに・・・
もちろんエイ君は採用され、共に働き始める事になる。最初は、やはり緊張していてあまり多くを語らなかった。そして黙々と洗い場に立った。終業後にその日の感想を聞くと必ず「楽しかったっす」と答えた。これは、そう言わないといけないと思って言っているのか、本当にそうなのか分からず、その言葉はなんだか知らない外国語のように聞こえて、分からなさが私の中に残った。
3か月経過してもエイ君は洗い場以外を希望しなかった。それは好きでやっているというよりは、そこにしがみついているような印象を受ける固執のしかただった。
だが、そんななかでも徐々にペアで作業していた同年代の女性従業員には打ち解けていった。そして、他の作業も関心があるとその子に伝えるようになってきたのだ。
それを聞いた店長と私は、エイ君に何をしてもらうかを検討した。まず、男っぽさをアピールできる、力が必要な作業にする。曖昧さが少ない事、マニュアル化しやすい事。今までキングコングにはなかった手作りのメニューにもしたい。考えた結果、手作りピザが浮かんだ。生地も手作りにすると商品価値も高まるし、既製品を購入するよりコスト的にも良い。これができると天下一武道会で優勝するよりすごいと、アニメのストーリーを交えながらみんなでワイワイと励まし。本人も「スーパーサイヤ人ですね。すごいっすね」と言いやる気になった。
いざ始まると、エイ君は分量をしっかりと量り、そして力強く生地をこねた。エイ君はその作業を気に入った。2つ目の作業を手に入れた。力強さをアピールできる作業で、なおかつお客様にとっては手作りという付加価値がつくメニューという事を増やしていこうと本人と話し、週に1回開催されているミーティングにおいてもみんなで次のエイ君の作業を何にするかを検討した。そこで挙がったのが手挽き手捏ねハンバーグだ。焼肉の肉をブロックからスライスする過程で出る小さな肉片をどう使うかは店舗の大きな課題だったのだ。その肉を使って、グルグル回すミンチ機でミンチを作り、ハンバーグにするのだ。一見簡単そうに聞こえるが、このミンチにする作業は手作業でやると本当に大変なのだ。ここでは某人気海賊アニメのストーリーを交えながら、これができたら焼肉王になれるような魔法の実を手に入れる事ができるかもしれないなと動機付けをした。そしてこれでエイ君は3つ目の作業を手に入れた。
こうして、エイ君のできる作業はどんどん増えていった。ミーティングではエイ君の手作り商品の出数を毎週報告し、どれだけ自分の仕事がお客様から選ばれているか、そして喜ばれているかを客観的に数で伝えた。「よし、勝ったぜ」といつも自分の限界と戦っていたエイ君は喜んだ。
もう「洗い場しかできない」なんてことはない。
確かに就労支援事業所では訓練というバーチャルな設定なので、何かスキルを高めようとしても動機付けが難しかったのかもしれない。なので、比較的得意な作業を一つに絞って訓練を行ってきたのだろう。それに比べるとキングコングはリアルな場だ。お客様を入れて、お金を頂く事で、自分達も生活をしている。この経済的営みは時に人の力をとても高めてくれる。キングコングでのエイ君は確実に店の役に立っているのである。売り上げに貢献し、商品価値を高める事に貢献しているのだ。お客様に食を通して喜んでもらう事が飲食業の根本である事を物語っているようだ。障害があってもなくても自分の社会的役割があり、組織の役に立つ事は最大のモチベーションになると感じた。
さらなる成長を感じたのは、それから1年後のミーティングでの発言であった。「今までは自分の記録だったけど、今は店の記録が大切」と言ったのだ。洗い場しかできない、洗い場しかさせないでと言われて入社したエイ君は、いくつもの作業を手に入れ、いまや店全体の売り上げを意識し、それに貢献するために自分の限界に挑戦するまでになっている。
今回のコラムを書くにあたり、名前を出していいか確認したら迷ったあげくダメと言った。ジャッキーという仮名は?と聞くと「大物ぶりたくないのでダメです」と答えて「エイ君でお願いします」と答えた。
不器用だけど一生懸命(BI)でしょ?