11,Bな私と、BIなキングコング
11、Bな私と、BIなキングコング
私は、自分がつくづく不器用であると思う。人と会話をしていてもなぜかよく「聞いていないでしょ」とか「興味ないでしょ」と言われる。真面目に話を聞いているつもりなのだが目が泳いでいるし、「ふーん」とか「あはは」とか乾いた返答をしているらしい。更に話題が乏しく緊張が高くぎこちない、つまりコミュニケーションが下手なのだ。次の話題を考えながら話すので、今の話題に集中する事ができず、記憶にも残りにくい。そのせいでよく用事を忘れてしまう。例え覚えていたとしても、今日10時の面談と、今日10時にかける約束をした電話を統合する事ができず、ダブルブッキングしてしまいどちらも役割を果たせなかったりする。他にも、根拠のない自信から大きなイベントをやろうと思いつきで言い出し、結局周りに余計な仕事を作ってしまうだけの結果になってしまう場合もある。おそらく気分の波があり、高かったらイケイケになり、低かったら自己嫌悪で落ち込んでいる、というあまりちょうどいいがない人間なのだろうと最近気付いてきた。人に話せる範囲でもまだまだあるが、人には言えない変なところは更にたくさんある。
そんな私であるので、まともな事ばかり求められると窮屈を通り越して怖くなる。この社会はどこまでまともを要求してくるのだろうかと怖くなるのだ。だから私はB(不器用だけど)I(一生懸命)な人達と一緒に働く事が好きなんだと思う。いや、私自身がそうだからこんな会社を作りたいと考えているのだ。たとえ社会が求めるドストライクな人でなくとも、不器用ながらも経済活動の土俵から外れずに力を合わせてどうにか残っていく、私がそんな会社がいいのだ。
巷では多様性なんていう言葉が溢れているが、はたして社会は多様性を認める覚悟があるのだろうか。「多様性を認めよう」とあえて言わないといけない時点で、それはキャンペーン化し、その言葉はのっぺりとして響いてこない。
キングコングは豊かな働き方を模索している。それは「いろんな立場の人が共に働く事で、相互理解が生まれそれが企業文化になる」事を目指している、それが豊かさだと考えている、という事だ。
様々なコミュニケーションツールやSNSの発達で、最近は他人をよく理解しようとする機会が減ったように思う。私自身も一部の本当に仲良くなりたい人とのみ深い付き合いをするようになっている。理由は分かっている。煩わしいからだ。人と人は難しい。できればその煩わしさから解放されて、大部分の人とは当たり障りのない距離で安定した関係を維持したくなる。しかし、それだと寂しいし、一人でできる事も限られてくる。私の場合は一人でいると妄想的になり、全てにおいてうまくいかなくなる。
結局人は一人では生きられず、誰もが社会の一員として生きていかないといけない。言ってみれば煩わしいのが普通で当たり前なのに、いつの間にその煩わしさから逃げる術を創り出し、その理由づけを行うようになったのだろうか。
そうつまり、多様性を認める、多様性のある社会をつくるには、煩わしい事にどれだけ時間とエネルギーを割けるかなんだと思うし、それができるかが最初の大きな壁になると思う。何も言わなくても察して動いてくれる人だけではなく、一つ一つ言わないといけない、毎回言わないといけない、決して効率的ではない事ばかりなのだ。だから私は、多様性を認めるのに「覚悟」という言葉を使いたくなる。
キングコングは福祉事業をやめてから給付金や助成金に頼らない経営を続けている。焼肉収入で利益を上げていかないといけないが、約75%の従業員が障害者という状況においては、焼肉の収入だけを追い求めることはできず、働く人も疎かには決してできない。数字にも人にも最大限に気を遣わないとキングコングは成り立たないのだ。飲食畑の社長と、医療福祉畑の私はそれぞれの立場から意見を言う。それは前回に書いた通りなのだが、そのバランスを取り現場に反映させるのは店長だ。一番難しく大変な仕事をしているのは店長なのだ。
店長は数字も人も良い状態に保つ事を求められる。キングコングの歴代店長は2人とも数字も人もみる事ができる素晴らしい店長だ。最近思うのだが、障がい者雇用が企業の文化になるかならないかは、このマネージャー層がどう考え振る舞っているかによる部分が大きいのではないか。すこし店長の日々を書いてみたい。
宗教団体の幹部にいやがらせを受けていると長年悩み続ける東江さん。彼女は笑顔が素敵で声が通るパワーのある肉場担当の従業員だ。キングコングに勤めだしてそろそろ一年が経つ。最近は現場の従業員とぶつかる事も多くなっている。
ある週末のランチタイム。ホール係の女性従業員が「ショーケースに肉がないので出して下さい」と言った言葉が気に入らなくてイライラし始め、ホールの客にも聞こえるくらいの大きな声で怒りだした。その声を聞いてびっくりした店長はレジをホール係の大樹に頼み、何が起きたのかと急いでキッチンへ向かう。週末のランチタイムという一番客が多い時間帯なのでそんなに時間を取れない、でもまずは何が起きたのかを尋ねる。東江さんは「あんな言い方ありますか」と怒り心頭している。店長は静かに「今一番大切な事はなんですか」と問いかける。東江さんもハッと気づき「お客様に迷惑をかけない事です」と答える。「あとでちゃんと話を聞きますので、今は目の前の事に集中して下さい」と店長。ほんの5分程で全体の歯車はかみ合い、また動き出す。
そしてランチ客の引いた15時、再度店長は東江さんを呼び別室で座って話を聞く。しかもじっくりと言い分を聞く。今日起こった事がなんだったのかについて聞いていたが、そのうち話は前の職場の事になり、以前からこんな事を繰り返している、職場に迷惑をかけたくない、さらに宗教団体の幹部がいやがらせをしている、と進み、最後にはもう辞めたいという話になった。ごちゃごちゃになった話題を店長は少しずつ紐解いていく。宗教団体の話は職場には関係ない事、東江さんの働きはとても評価していて、迷惑をかけている事は全然ないという事。次第に穏やかな表情になり、笑顔を取り戻す東江さん。おおそよ1時間を面談に費やし、この日は落ち着いたかのように見えた。
東江さんは話すと落ち着きを取り戻すが、数時間後には沸々とまた沸き始めるのがいつものパターンだ。この日も18時頃から考えが止まらなくなり店長に電話をし始めた。しかし店長はこの時間はディナータイムで忙しいので電話は取れない。第2選択肢として私に電話がかかってきた。東江さんがどれだけ切羽埋まっているかは声のトーンで分かる。高く早口で大きな声の時は切羽詰っている時だ。その日は、今日こんな事がありまして・・・から始まり、店長と何を話したかまで一通り報告をして最終的には「私は迷惑かけているので辞めた方がいいと思います」と話した。私はしばらく仕事の話をしたうえで、関係性というのは迷惑の掛け合いだから安心して迷惑かけて下さいと伝えた。すると東江さんも「ありがとうございます、ここで長く働きたいです。明日からもよろしくお願いいます」と元気に電話を切った。
うまく丸く収まったように思えたが、これで終わらない所がキングコングだ。翌朝の東江さんは表情が硬い。挨拶もそこそこに現場で黙々と業務を始めた。そして11:30のオープン直前に雲行きが怪しくなってきた。イライラしている様子で店長に話を聞いて欲しいと大きな声で訴えている。店長ももうオープン前だから後にできませんか。と流石に少しイライラした様子で言っている。東江さんはなんで話を聞いてくれないんですか、あの人の味方なんですかと声を荒げだした。11:45、見かねた店長は東江さんとホール係の従業員も呼び勝手口で話し始めた。東江さんの勢いは止まらずホール係の若い女性従業員に「何か言いたい事があるならそう言って!」「あんな言い方したらイライラするさ」と詰め寄る。ホール係の女性は青天の霹靂、いきなり怒鳴られて最初はぽかんとしていたが、ついに泣き始めてしまった。そんなつもりはなかった、自分も忙しかったら言い方が雑になってしまうのは課題だと思っていたと泣きながら素直な言葉を絞り出した。東江さんはそれを聞いて「そうなんだ、ごめんね。わざとじゃなかったんだね」と謝りはじめた。この時点でオープン3分前、11:57。オープンぎりぎりまでお互いの理解を促し、そして「はい、それでは今日も一生懸命お客様目線で営業しましょう」と気合を入れて二人を現場に戻した。
この一連の流れで、店長は従業員も客も大切にしながらそのバランスをとっている事がわかると思う。最初は、後で話を聞くので今は目の前に集中して下さいと言った。これは、お客様目線を意識させることになる。自分の不満を聞いて欲しいという訴えも分かるが、業務中はまずは客様に迷惑をかけない事を優先して欲しいというメッセージとなり相手に届く。そしてちゃんと後からは聞いてくれるという安心感をもたらす言葉も付け足していた。 次には電話を取らないという事もあった。これは業務外の時間で悩んでいる人と、業務中でお客様を相手にしている人では業務を優先するという事で、これもお客様目線に立っているのだという説明がつく。また、電話の場合は店長とつながらなかったら私に電話する事を店長は知っているので幾分かは安心して電話を取らないと選択ができる。そして、最後はオープン前の超忙しい時間だけども面談をするという事もあった。これは単にイライラしている人がいるから面談をしたのではなく、このまま営業するとお客様に迷惑がかかる事態になると考え、今のうちにある程度この状況を改善しておかなければいけないと考えたからだろう。三者面談をしたからと言って東江さんの気持ちが治まるという保証もなく、オープンに間に合わす事ができるかピリピリした時間帯であったが店長の判断は正しかった。 このように、今面談するのか、後でするのか、そしてしないのかという判断をその時その時でしないといけない。さらに、面談をしたからと言って良い結果が必ずしも保証されているわけでもないのである。
ある日、店長に聞いてみた。以前からこんなに従業員に時間をとれましたかと。店長は、以前はもっとサバサバしていた。ほとんどがアルバイトだったので、そこまで人に時間をかけていなかった。でもキングコングは少しでも人に関する事を怠るとすぐに欠勤や離職につながってしまうので、特に優先順位を上げて対応していると言う。「病気の事は正直分からないので、本人達にもそれは分からないと言ったりします。一つ言える事は障害や病気があっても皆の力を合わせないとこの店は続けていく事ができない。それだけのシンプルな話です」と言った。これだけ離職が少ないと一体感が出て、お客様にもそれは伝わり安心感になると言う。組織としても、BIという言葉に象徴されるように皆一生懸命なので周りも触発されて初心に戻る事ができ、不思議と「この人達と一生懸命頑張りたい」と思えると話した従業員もいた。
このご時世、飲食店の利益を確保し続ける事だけでも正直大変なのに、従業員にも最大の関心を払わないといけないというのは楽ではない。むしろ苦しい。なのでもう一度言いたい、多様性を認めるというのは煩わしさに耐える覚悟を持つという事であると。そんな事を進んでやる企業や社会は今どれほどあるのだろうか。それかもっと楽をして多様性を認められる方法を誰か知っているのだろうか。でも、ぶつかるからこそ、話す機会ができ、相互理解が促進される。互いを分かり合う、その努力をし続ける社会の方が頑張る意欲が沸いてくるし、生きていきやすい。
私達はB(不器用だけど)I(一生懸命)な会社を目指している。
これにてこの連載は稿を閉じようと思う。
今まで読んでくれ、シェアして下さった皆さんに感謝を申し上げ、
また皆さんとBIな世界でお会いできる事を楽しみにしている。
ウホウホ!!