推敲なし思考
正しいことをしようとする。
正しいことを知ろうとする。
間違いを排除しようとする。
間違いを正そうとする。
何の為に?
誰の為に?
正しさの為に?
自らの罪悪感の払拭を目的としているのだろうか
これは少数か
どげでんよか
私に正しさを示したものは何だったか。
書物に綴られた物語。
幼児期に受けた大人の言葉。
夢でよく見る映像。
繰り返し聴いた音楽。
子供の頃の想像。
星の位置。
心地よい感触。
太陽の光線。
自分以外の熱。
他人の言動。
全て、他である。
それらを正しいと決めたのは誰だ。
自分だ。
正しさを下す自分こそが正なのか。
いや、正が正しさを判断し得るだろうか。
正しさを集め正しさを貼り付けていく。
正しいのは自分であることが常だ。
正常。
正常から外れたものを異常と呼ぶ。
そう、基準があるのだ。
私がここにいるから基準がある。
私にとって獲得を感じられるものに正しさの方向付けをする。
正しいから獲得しなさい、と声が聞こえる。
獲得するためにはそれが正しくある必要がある。
正しくなければ獲得する必要がないのだ。
獲得してきたものは全てに正しさが張り付いている。
正しくあるために何かをしてきた。
或いはしなかった。
それは今振り返ると間違っていたのかもしれない。
その時は正しいと判断したのだ。
今、正しさや間違いを判断しても先では逆になり得る。
先はわからない。
わからないことは苦痛であり恐怖であり不安である。
それから遠ざかるために何かを得ようとする。
正しいかわからないものは得られない。
形を欲する。
多くの他人が持つものほど輪郭がくっきり見えてしまう。
形があれば、これは正しいと間違った判断ができる。
得ようとすることは苦痛を伴い、それ自体に苦痛に感じることもある。
苦痛を取り除くための代償は苦痛。
正しさとは苦痛だろうか。
求めることは生きることである。
正しさを求めることが生きることだろうか。
欲したものが正しいものであり
正しいものを欲する
しかし、正しいものを失うこともある
失ったものが正しかったと思い込む
正しさに思いを馳せるのは心地良いのだ
それを自らに向け愛していく。
複雑だとか難解だとか言うけれど結局自分を愛してしまう。
過去と未来に挟まれた今。
自分にしがみつく。
得てきたものを数え、失ったものを数え手繰り寄せる。
形のあるものを抱きしめたいのだ。
それが我が身を切ろうとも。
正しいのだと言い聞かせながら。
まだ存在していない正しさはあるだろうか
正しいのに存在できないことは有り得るのか
有り得るとすれば、今あるものは全て正しくないかもしれない
新たな正しさの登場で今ある正しさが無くなるのか
正しさは未知に存在するか
今の正しさは偽りか
また、正しさは変化するだろうか。
正しさを携えたものが変化する必要はあるのか。
正しさに変化をもたらすものは何だ。
正しさとは好悪か
正しさとは損得か
好悪や損得を装飾したものが正しさだろう
僕はそう定める
そうとしか見えない
正しさとして示すから、他所の正しさが聞きつけやってくるのだ
正しさを失うのは恐ろしいからね