脱衣ジョーカー
レイデースエンジェネメン!
誰一人として待ち望んでいない悪ふざけを始めようと思う。
しかし、それではあまりにも淋しいので五千億人が待ち望んでいると思い込むことにする。
五千億という数字は一億が五千集まった数である。
五千が一億集まった数でもある。
これほど巨大な数字を君達に理解できるだろうか。
好きな食べ物を五千億個思い浮かべてみればわかりやすいかもしれない。
どうだ?
ケロッグコンボで思い浮かべた!?
それはあまりにもグ~レイト~!
イッツァショウタインム!
ウォ~~(五千億人の歓喜の声)
今回の表向きのお題は「風呂」
そして裏のお題は「妙な例え」
さあ、はりきってまいるましょう!
文章なのに噛んだ。
ほとほと参っちゃうね。
冬になると風呂に入るのが億劫になる。もう夏に片足を突っ込んだどころか、肩までつかってしまっているが構わないだろう(バスタイムジョーク)
もう間もなく夏だというのに、冬のネタをつかうのはいかがなものか、まあいいかと判断した
(この判断は後に誤りであることが証明されるだろうが、今はまだ誰も知らない)
どのくらい億劫かを例えるなら、妻に「自分のワイシャツくらい自分でアイロンかけなさいよ」と言われたくらい億劫だ。
その経験がないからどの程度なのかはわからないが、まあだいたい計り知れ。
程度を掴め。
君達は推測だとか予測だとか天体観測だとか好きだろ?
見えないものをみようとするだろ?
望遠鏡をのぞき込むだろ?
午後2時頃、くだらない思考に踏み切る!
さあ、エンジンがかかって参りました。
エンジンがかかってこの程度かよ、とお嘆きのジャリボーイズ&アドレッセンスギャルズよ、判断するには早すぎる。
君達の判断力はその程度のものなのか!?
見損なったよ。あまりにも早すぎる決断は後悔を招く。
まるで、パスタをたくさん茹ですぎた昨日のように……思てたより多いな
さあ、五千億人と全ての行く年来る年生きとし生けるものへ私の恥ずかしい部分を見せつけましょう。
キャー(五千億人の黄色い歓声)
恥部(文章)を惜しげもなく躊躇いもなく恥じらいもなく、実は泣く泣く仕方なしに見事にさらけ出しまして見せましょう。
好奇の目を向けるなり、目の玉をひん剥くなり、目を瞑るなりすればいい。
そして、目を瞑ることが最善の策であることをここに宣言する。
目を瞑り、理想の未来を思い浮かべることがなによりも楽しいことだろう。
私の文章(恥部)に触れながらハピネスを感じると吉。
本線に戻る。
何故億劫になるのか。
理由は至極単純、脱衣場が寒いのだ。
いや、脱衣場だけが特別寒いわけではない。
脱衣場で裸になっちゃうから寒いわけで、冬場に暖房の効いてない場所で裸になれば寒いのは当然のこと。
それはまるで、ドラえもんに登場する例の空き地でかくれんぼをしてみたけれど、隠れる場所は土管しかなくて一網打尽は免れないだろうと思うのび太の心情の如く……
その土管の中。
スネ夫は闇すらをも切り裂く鋭利な前髪が土管に引っかかり前進も後退もままならぬ状態。
「わっ悪いなのび太。この土管は一人用なんだ」
ジャイアンの囁き声とも怒号ともつかぬ声にエコーがかかったかのようで地獄のリサイタルが脳裏に蘇る。
「この土管は俺のもの」(上の段の土管内)
しずかちゃんは現代の過剰な程のsexual harassment意識による弊害を僕に塗り付ける。
「のび太さん、これ以上近づけばあなたを告訴します」
そして土管の外では鬼と化した怒羅獲悶が「独鈷でmore」というお仕置き道具を手にし、死へのカウントダウンを確実に進めていく。(独鈷とは閻魔大王が持っているやつ)
のび太は思う。
かくれんぼで土管しか隠れる場所がないのに土管に身を隠そうとした僕がいけなかったんだ。
3本しかないし……
それは冬場に暖房の効いてない場所で裸になり寒い思いをするのと同じさ。
そんな感じで脱衣場は悪くない。
脱衣場は悪意をもっているわけではない。そもそも脱衣場は意志を持たぬ。
悪いのは寒い脱衣場で裸になる私である。
さあ!五千億の罵詈雑言を私に与えたまえ!
私に降り注ぐ幾多もの言葉の煌めきがecstasyに導いてくれることだろう。
と、変にMキャラを演じてみたものの言葉責めは私を不快にするだけである。
不快指数五千億である。
不快指数五千億とは
とんかつだと思って頬張ったものが魚のフライだったときと、新幹線で前の席のおっさんが五分おきに振り返ってくるときと、くしゃみが出そうで出ないときと、赤信号で停車していてシグナルグリーンでさあ発車させようかとしているが前の車がなかなか走り出さずklaxonを鳴らそうかと思っている時に後ろの車からklaxonを鳴らされたときと、土砂降りの中を歩いていて靴下が水を吸ったり吐いたりしているときの不快指数を足した数値がちょうど五千億である。
ところで脱衣場より脱衣所の方が表記としては正しいだろうか?
脱衣場
脱衣所
「場」と「所」で組み合わせると「場所」という言葉になることにも何か意味があるのだろうか。
いったい私はどちらで服を脱げばいいのだろう。
どちらになら産まれたままの姿を見せてもいいのだろうか。
もし脱衣女だとすればどうだろう。
なんだかドキドキしてきた。
脱衣女は脱衣前の女性なのか、脱衣後の女性なのか、そっそれとも脱衣中の女性なのだろうか。
もちろん、前→中→後の過程を一括りにしているのかもしれない。
もしかしたら脱衣させてくれる女性なのかもしれない。
果たして、五千億人の中に脱衣女は存在するのだろうか……。
僕はこのふざけた思考から脱衣しなきゃいけないのかもね
アディダスアディダス!