見出し画像

異端審問の歴史 三、ローマの異端審問

こんにちは。

皆さんは聖書と世間で言われるキリスト教、特にカトリックについて、どんな風に考えておりますか。世界一の信徒数を誇る教会だとか、歴史上戦争で多くの人々を虐殺した宗教だと言う人もいると思います。キリスト教が人殺しの宗教と誤解されている理由は、中世以降のカトリックの悪事が原因であり、聖書の教えのせいではありません。
まず、カトリックはイエス・キリストと十二使徒の教えを無視して、偽使徒パウロの書簡を曲解及び盲信して、古代の太陽神崇拝の習慣を融合させることで作られた聖書とは無関係の宗教、所謂パウロ教である事を念頭に置いて下さい。詳しくは真の聖書福音と預言のミカエル氏のブログ記事「パウロは偽使徒 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」、「偽使徒パウロの反キリスト教義 一 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」から始まる連載記事が参考になりますので、是非ご覧下さい。
皆さんの聖書に対する誤解を解くために、複数回に分けてカトリックの闇の歴史を論じていきます。今回は、カトリックの悪行の中で特に悪名高い異端審問について解説します。異端審問とは、大きく三つに分かれています。一つは中世の異端審問、二つはスペイン異端審問、三つはローマの異端審問です。それぞれが異なった時代背景と性格を持っているため、一つの記事にまとめるのは難しいと思われます。従って、異端審問は三回に分けて解説していきます。今回はローマの異端審問に焦点を当て、その背景、運用方法、具体的な事例、そして歴史的評価を詳細に探ります。ローマの異端審問は、教会が自身の教義に対する挑戦を如何に抑え込んだかを示す一つの象徴であり、宗教と科学、信仰と知識の間の緊張を明確に示す事例です。

一、ローマの異端審問とは
二、検邪聖省
三、禁書目録
四、ガリレオ裁判

一、ローマの異端審問とは

歴史的背景

千五百四十二年、教皇パウルス3世は、宗教改革の波がカトリック教会を揺さぶる中で、ローマ異端審問所を設立しました。これは、教会が自身の教義を守るために異端思想を抑圧するという全世界的な戦略の一環でした。宗教改革の指導者達が新しい解釈や教会の改革を唱える中、教会はこれらの思想を異端と見なし、対抗するための新たな組織を必要としていました。

組織と目的

従来の異端審問制度が個別の異端審問官による運営から脱却し、ローマの異端審問所は神学者や枢機卿からなる委員会形式を採用しました。この委員会は、特定の教説や著作が教会の教義に反するかどうかを審議し、また各国で行われる異端審問の監督も行いました。これにより、教会はより一貫した統制を可能にし、自身の教義を守ることができました。

運用方法

委員会の構成: 委員会には、教会法、神学、哲学の専門家が含まれ、それぞれが異端性を判定するために意見を述べました。

審問の過程: 最初は個々の異端者に対する裁判も行っていましたが、次第にその焦点は著作物への審議へと移行しました。

広がりと影響力: ただし、ローマ異端審問所の直接的な影響力はイタリア国内に限られ、国際的には禁書目録や決定事項の通知という形で影響を及ぼすにとどまりました。

二、検邪聖省

設立と役割

ローマ異端審問所は後、「検邪聖省」(Congregation of the Holy Office)と改称され、教皇庁の一機関として機能しました。検邪聖省は、教会の教義に対する挑戦を監視し、異端思想を排除する役割を担いました。

運用方法

顧問団: 各国から選ばれた神学者や哲学者が顧問として参加し、審議に貢献しました。これにより、教会は多様な意見を取り入れることができ、より慎重な判断を下すことが可能になりました。

変遷: 初期には個人に対する厳粛な断罪も行われましたが、時間とともにその役割は著作物の審査へと切り替えました。これは、思想そのものを統制しようとする教会の意図を反映しています。

歴史的影響

検邪聖省の活動は、科学と宗教の間の緊張を象徴する事例を多数生み出しました。その中でも特に有名なのが、ガリレオ・ガリレイの案件です。検邪聖省は、思想の自由に対する抑圧として現代から批判されていますが、同時に当時の教会が直面していた信仰の再定義という問題を解決するための手段でもありました。


画像引用元: https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/Cristiano-Banti/950246/ローマの異端審問の前のガリレオ.html

三、禁書目録

目的と作成

禁書目録は、検邪聖省が作成したリストであり、教会が異端とみなす書物を信徒に対して禁じるためのものでした。これは、教会が自身の教義に反する思想の拡散を防ぐための情報統制策でした。

内容と影響

内容:初版は千五百五十九年に発行され、その後何度も改訂されました。目録には、神学書だけでなく、創作物や科学書も含まれていました。

影響:ガリレオの著作が禁書目録に含まれたことは、科学的探求と宗教的教義との対立を象徴しています。これにより、科学者の研究活動が制限され、科学的知識の自由な探求が阻害される一因となりました。

廃止と現代への影響

禁書目録は千九百六十六年に正式に廃止されましたが、その存在は教会がどのように思想を統制しようとしたかを示す歴史的証拠として残っています。禁書目録の廃止は、教会がより開かれた姿勢を示す一歩だったと見られる一方で、その長い歴史は信仰と知識の間の緊張を物語っています。

ローマの異端審問、特に検邪聖省の活動は、カトリック教会が自身の教義を守るための手段であり、同時にその過程で科学的進歩や思想の自由を抑圧した歴史的事件です。これらの事象は、信仰と知識、宗教と科学がどのように相互作用し、時には衝突するかを示しています。教会は、その長い歴史の中で教義を守るために多くを犠牲にしましたが、今日ではこれらの過去の行為を反省し、より開かれた態度を取ることで信仰と理性的探求の両方を尊重しようとしています。

五、結び

カトリック教会は、異端審問を通じて思想や信仰の自由を抑圧し、自身の権威を保持しようとした歴史があります。これらの行為は、現代の視点から見れば人権侵害や思想弾圧に該当し、教会が戦争や虐殺に関与したという批判を招く一因ともなっています。しかしながら、これらの悪行は聖書の教えそのものではなく、カトリック教会が政治的・宗教的権力を保持するために行ったものと見るべきです。教会はパウロの教えを金科玉条と掲げて、古代の信仰や習慣を融合させることで独自の教義を作り上げ、自身の権力拡大を図りました。これは、教会が聖書の本来の教えから逸脱し、パウロ教とも言える独自の宗教体系を構築した結果であり、主イエスと十二使徒の教えが本来持つ愛と赦しの教えとは相反する行動だったと言えます。この歴史的事実から、異端審問やその他の教会の行為は、宗教そのものではなく、人間の権力闘争や支配欲が引き起こした悲劇であると理解することが重要です。

異端審問の各形態は、その時代の政治的、宗教的需要に応じて発展しました。これらの審問は、教会が自身の信仰と権力を守るための手段でありましたが、同時に多くの人々の苦難と迫害を引き起こしました。現代の視点から見ると、これらの行為は宗教の純粋性を護るためというよりは、権力の保持と統制のための道具であったと言えます。異端審問の歴史は、信仰と権力の間での緊張と妥協の歴史であり、宗教が社会に与える影響の複雑さを如実に示しています。

この論考は、異端審問がただの歴史的事件ではなく、現代に至るまでその影響を残している問題であることを明らかにします。それは、宗教と国家の関係、信仰の自由、知識の探求、そして人権の尊重という現代の重要な題目と深く結びついているのです。

皆さん、全人類の救いの恩恵期間が終了する大艱難の幕開けまで本当に残された時間は少ないです。これから先は主イエスが預言された通りに世界各地で戦争や災害などが多発していき、聖書を学ぶことは日増しに難しくなりつつあります。手遅れになる前に聖書の学びに一生懸命励んで、真の聖書福音と預言のミカエル氏のブログ記事を最初から最新記事まで読み進めることを推奨します。

拙者はミカエルさんの管理する「神のイスラエル教会」参加に向けて活動中の未熟者ですが、この記事を読まれている読者の皆さんも宜しければ共にキリスト道を歩んでいこうではありませんか。

最後までご覧頂き有難うございました。

いいなと思ったら応援しよう!