Netflix 『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから』感想 追憶が時空間を歪ませる
こんにちは。キネヲです。
このnoteでは、主に映画やドラマ、小説の感想を書き連ねようと思います。
さて、Netflix 『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから』
目まぐるしい引用で話題のこの映画ですが、それはさておいて、感心するのは、ひたすら反復される運動の連続。
通学路の自転車の往復。
学校の廊下のすれ違い。
父親とソファに座っての、映画鑑賞。
エトセトラ、エトセトラ…
苦難に見えた運動が、次第に次第にアップデートされていく様子を段階的に提示していく。
これはまったくもって映画らしい映画で、最近のトレンドの尺が長くなりがちな問題もクリアしてて(上映時間1時間44分)、個人的に絶賛と驚嘆の鑑賞体験でした。
この作品はアジア系移民でITエンジニア出身という異色の経歴のアリス・ウー監督の15年ぶり(!)の二作目。
人種とジェンダーの二重のマイノリティーの問題を重石にした、大変難しい話を、王道の学園コメディのように作劇しており、難解さを匂わせながらも、軽妙なスタイルで表象していきます。
時に挿入されるインテリ風のテクスト群が、スマホの絵文字に変わる時、もしや、これはジャン・リュック・ゴダール氏の偉業を刷新したのではないか!、と直感がよぎり、新緑の中を颯爽と自転車で走る気分で、気がつくと、目から汗が止まりませんでした…
作ってくれてありがとう。
最後に、、、
僕の勘違いでなければ、この映画にはとても不思議な謎が仕掛けられています。
それは、この物語の時代設定。
登場人物の高校生たちは、スマホを流暢に扱うデジタルネイティブ世代。つまり現代の設定のようなのですが、なぜか、乗ってる車は全て年代物、テレビも古いブラウン管のタイプ。どこで売ってるんだよというラジカセも登場する(ラジカセから流れる曲も新旧ごちゃ混ぜ…)。
この物語は、監督の実体験をもとにした作品と言われている(実際、監督の写真をネットで探すと、主人公の容姿と酷似している)。
彼女の過去への強くて儚くて眩い想いが、追憶が、あえて、この時空間を歪ませているのでしょう。