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心がふるえるのは、見つけてもらえたから
春からはじまった小澤仁美さんのことのは文章教室。今回はそのアドバンスに参加している。
毎回課題が出されて、それを皆の前で添削していただく時間がある。アドバンス講座では、ひとみさんが参加者の感性や資質を見てその方の良さが発揮されるテーマを提示してくださる。
そのお知らせメールが届いた日は、ちょうど母の一周忌だった。9月の沖縄の日差しはまだまだ肌を焼き付けるほどだ。午前中買いものに出かけるところ、玄関を開けて、あとは娘が出てくるのを待っていた。
ぴろぴろりーん。携帯がなって、ふとみると、ひとみさんからのメール。
今、対応できないや。でも、見たい。娘は・・・よし、まだだな。娘は一緒にいる時にスマホを見ると嫌がる。まだ鏡の前でもたもたしているのを確認。鍵を片手に、もう片方の手でスマホを操作して、ちらりと文章を読む。
りかさんの書かれた作品を読んで浮かんできたキーワードは「慈愛(思いやり、愛、共感)」でした。
りかさんの中に流れる温もり・優しさ、その源流を言葉にしていくことで、りかさんの生まれ持った資質をより光らせることができる気がしています。
・・・・うわーーーん。涙。
文章教室の中でもね、優しい優しいって言われたんですよ。ほんとよ。
声がね、やさしいんだって。ありがとうございます。
でも、実は、自分のこと、あんまりやさしいって思っていなくて。優しい仮面をかぶっているつもりはあるから、皆さまの温かいお言葉をすんなりは受け取れていなかった。
でも、ひとみさんから、このメッセージをいただいたとき、目頭が熱くなった。何がそんなに心をうごかしたのだろうか。涙がぽろりとこぼれそうなところに娘がやってきた。
後ろをむいて、目尻ににじむ涙をぬぐい、「いくよ」と言って玄関の鍵をしめた。
江原啓之さんが、どこだったかな、ラジオの音語りでだったかな、で語っておられたことを思い出す。辛口なんだけれど
「自分にはそんなことありません~~って謙遜する人がいるけど、それ、傲慢なのね。他の人よりも、自分のほうが自分のことをよくわかっている。ってそういいたいの。でもね、外から見ている人があなたを見て、こんな素敵なところがあるよーって教えてくれるって、すごいことよ。自分以外の存在の言葉を大事にしなさい。自分が自分がじゃなくてね。
ラジオだけじゃなくて、本の中でもそんな風に書いているところをみたことがある。ほんと、そうだな。傲慢なんです。自分のほうが、自分をよくわかっている。ってつんつんしてました。痛いところをつかれてうちあたい(沖縄の方言で、図星で凹むの意味)
たとえ、優しいふりをしていたとしても、その「ふり」ができているのだとしたら、その「やさしさの源流」にたどり着けたら、それは「ふり」でなくなる気がしてきた。
自分の中にも、純粋なやさしさがあって、そこから流れ出るものがあったのかもしれない。ひとみさんからのメッセージは、そんな傲慢で優しい自分の一部分が見つけてもらえた喜びで、涙を流させたんだと今は思う。