人生の舵はいつどんな瞬間に切られるか?―映画監督の場合
「ガクチカ」にはとても世話になったので、礼を言わなければならぬ
すごくよく聞かれる「どうやって映画監督になるのか?」という質問について先日書きましたが、「なぜ映画監督になろうと思ったのか?」もめちゃくちゃ頻繁に聞かれるので、書いておこうと思います。
ルーツを遡ると当然、映画館での鑑賞体験、衝撃的な映画作品との出会い、尊敬の対象となるような映画作家の存在があります。ですが、一言で答えるならば、「未知・想定外・想像以上が好きだから」です。
まだ抽象的なので、もうちょっと遡りましょう。
そんな僕は映画をやる前に、西遊旅行という秘境専門の旅行会社で働いていました。衝撃的な映画作品に負けないくらいの個性的な社員の皆さんや、「どこそれ?」という数々の場所への旅行を取り扱っている会社です。いまだに「旅と映画」というワールド映画コラムを書かせてもらっています。
たとえば、インド旅行があったとすると「本当に本当に誰にも負けないぐらいインドが好きだ!」「この旅をお客さんに届けたい!」という方が、ツアーの企画を手掛けていました。僕も大学のときにアジア文化やインド哲学を勉強していたので、それなりに好きなつもりではいました。ですが、上には上がいました 笑
もちろん、その道を突き詰めることもできたでしょう。ですがそれと同時に、自分がそれぐらいの興味関心(あるいは人生丸ごと)を捧げられる対象が映画だと段々と気づいていきました。
「30歳ぐらいになったら映画学校でも行こうかなあ」と思って映画学校の資料は取り寄せていました。が、予定をかなり早めて、グワッと映画のほうに人生を寄せていきました。西遊旅行の皆さんには感謝しても感謝しきれません。
それだけでは「なぜ?」に答えきれていないかと思うので、もう一段階遡りましょう。舵が切る原動力になっていたのは、
「ガクチカ(学生の時に力を入れたこと)」、
僕の場合はサークルのバンド活動、です。
どういうことか?
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