ゴールデンカムイ配役騒動 ~その2~
はじめに
ゴールデンカムイの実写版キャストについて、「アイヌの役はアイヌが演じるべき。そうじゃなきゃ観ない!」というツイートが流れてきたので、それに対する個人的な意見を書いた記事です。
こちらの記事からお読み下さい。
今回は2つめの記事なので、1つめの記事を踏まえて、私が賛成できる部分を掘り下げてお話ししたいと思います。
差別を理由にオーディションを落とすな!
残念ながら、アメリカには日本人差別があります(ありました)。
何かの作品を作るときに役者を選ぶことをキャスティングと言いますが、指名されるときもあれば、選考会(オーディション)で決めるときもあります。
例えば、日本人の役があって、日本人の私が選考会に応募したとします。
結果は落選。理由は「日本人が嫌い」という監督の差別。
台詞の言い回しや演技が監督のイメージに合わなかった。というものや、監督が求める”日本人”のイメージに合わなかったから。というものであれば納得できると思いますが、役者の演技を見てもらえずに日本人が嫌いという理由で落とされるんです。
役者としてこれほど屈辱的なことはありません。
身近な例で例えると、就職試験で年齢で落とされるようなものです。
「年齢じゃなくて私の中身を見て下さい。」と言いたいですよね。
日本人に勝る日本人役はない!
ツイ主は「アイヌ人の役はアイヌ人が演じるべき」と言っていますが、これはどういうことかというと、「アイヌ人の役はアイヌ人が一番上手に演じられるから、アイヌ人が演じるべき」ということなんです。
もっと噛み砕いて説明すると、
アイヌの役を演じるのがアイヌ人であれば、アイヌ人の習慣や文化、しきたりなどをよく理解しているから、アイヌ人に対して差別的な表現は自分の演技から自ずと排除する。結果的にアイヌ人が不快になる要素のない映画になり、むしろアイヌの人から「よく調べて、アイヌの文化を正確に伝えてくれてありがとう」とまで言われる映画になる。
ということなんです。
いまいちピンと来ない人は殺陣に置き換えるとわかりやすいと思います。
サムライの役を一番上手にできるのは誰だと思いますか?
それは日本人です。
なぜなら、日本人にはサムライの血が流れ、サムライの心を最もよく知っているからです。
こういった考え方があるということを知らない人が「アイヌ人の役はアイヌ人が演じるべき」と聞けば、「何いってんの?」となるのは必然だと私は思います。
ツイ主の主張には、マイノリティやマジョリティ、表象など、聞き慣れない言葉が出てくるので余計にわかりにくくなってしまっているのですが、大元をたどっていくとこういった考えがあります。
「差別をなくそう」と言っている人たちの考えには「自分の役を最も上手に演じられるのは自分」という考え方があります。
続きの記事はこちら
この話題に関しては賛成できる部分と賛成できない部分が半々なので、少し噛み砕きながら記事にしていこうと思っています。
ちょっと長くなるかもしれませんが、最後までおつきあいいただければ幸いです。
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