−波は無くともサーフィンだ−社会心理学的自己が事故に晒される時

自己意識的感情には社会心理学的自己との研究と接点が多い。そしてそれらはオンライン上に上ることで実証されつつある。少なくともそのはずではある。例えば、恥・罪悪感については、他者が見ているところでは生じやすいといった公的な性質があるため、可能ならばその行為の修正や釈明といったことが行われることがある。

客体的自覚理論は、自己意識的感情の経験とその後の行動との関連を理解する際に参照するべき理論の一つとされている。

人が注意を向ける方向として自分自身と自分以外のいずれかという二分法を取り、自分自身に注意を向けた場合を客体的自覚(あるいは単に自覚)と呼び、その状態にある人々の心理的・行動的特徴の説明と予測を試みた。自覚は、他社から注目されること、自分の姿が映し出されるカメラや鏡の存在、録音した自分の声を聞くことなどによって高まると考えられた。そして、自覚の高まった状態では、その状況において重要であり、その状況が持つ意味と関連性の高い自己の側面について考えるようになるという。さらには、そうして注意の向けられたそのときの現実の自分の姿が、正しさの基準(Standard of correctness)に照らして評価・吟味されると仮定された。正しさの基準とは、いわば理想の自己であり、個人的あるいは社会的に望ましい自分の姿や行動の心的表象である。人々が気づくこの自分の姿は、往々にしてこの正しさの基準を満足していないので、自覚が高まると人は多くの場合に不快な感情を体験する。そして、この不快感情が自覚回避あるいは正しさの基準に向けた行動修正のいずれかを動機づけると考えられた。

さて、日本全国というよりも世界中が正しさの基準に向けた行動修正を動機づけるように強いられている現状下において、更に何らかの正しさの基準を持ち込んで行動制限を行うことは容易ではない。現実にも不快感情を自覚回避する流れというのは出てきている訳である(波が無くても海岸に集まるサーファー、巣鴨の商店街に繰り出す人々などのように)し、そういうものを止めることはかなり難しい。今後も行動の制限は継続されると考えられるだろうし、また、継続されることを前提として生活設計や制度設計をしていかなければならないだろう。不快感とうまく付き合っていくにはどうしたらいいのか?また次回も書こうと思います。

引用:有光興記・菊池章夫編著(2009)自己意識的感情の心理学:北大路書房 

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