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財布の中のゼロサムゲームに勝者はいない

ゼロサムゲームとは、各プレーヤーの得点と失点の合計がゼロ、つまり、誰かが得点を稼げば他の誰かが失点する仕組み。プレーヤー間の実力差が大きくなれば得失点差も露わとなる厳しいゲームだ。

私は、給料日にいつも3万円を財布に入れている。月給を、家計と自分の小遣いに厳密に分け、小遣いが足らないからといって家計には絶対に手を付けない、これは十数年来変わらず自らに課したルールだ。病気になっても医療費は小遣いから出す。大きな買い物に備えて小遣いの余りをわずかながらもプールしてきた。

失われた30年と言われるデフレ下ではモノの値段が上がらなかったため、このルールでも困ることはなかった。また、定期的な月収があったので、今から思えばある意味幸せだった。

しかし、コロナ禍が世界を襲い、その後一段落するも勃発したウクライナ戦争を契機に世界にインフレの嵐が吹き始めると景色が一変する。普段から買っていたものの値段は当然上がる。しかし、給料が物価に追いつくわけもないので3万円から増額するわけにはいかない。海外の金利が上がり円安が進む現実に対して放置プレー同然・・・

その結果、今まで買っていた物の値段が上がれば、当然、3万円では賄えない。つまり、私は、財布の中の3万円をめぐって壮絶なゼロサムゲームを始めざるをえないのだ。厳しいジャッジを下し、諦めるほかない。
ヤクルト1000、会社内の飲み会(コロナ禍を経て、無理と無駄が多いことが共通認識になり、意味のある会だけに精査された。しかし、一部の職員らが旧弊にしがみつき飲み会を増やそうとするのは、なんとも哀れだ)、お菓子、晩酌のお酒やおつまみなど・・・

今後、給料が上がり可処分所得も増えない限り、いくら物価が上がっても消費の総額が増えることはなく3万円、買える物も減る。さらに、売る側も、ゼロサムゲームに敗れた物は売れないので売上に差が出る。春闘や株高に沸騰してこの世の春を謳歌する都市部の勝ち組以外は、こうした厳しいゲームを強いられているのだろうか。それは、社会のゼロサムゲームの敗者にふさわしい罰か?

誰も幸せになれない現実が目の前で広がっている。


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