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三世代の系譜


 一時期集中的に読んでいた幸田文さんの文章を、久しぶりに読みたいと思ったところに、新装版となった文庫本を手にすることになった。題名の背景に、若々しい緑色の竹に愛らしい雀を散らした小紋柄(江戸小紋?と思われる)を配した、すっきりしながら品のいい装丁。就寝前の一書にしようと思い、気持ちよく書店で手に取った。

 ところが読み始めてすぐに、その判断を間違えたような気がした。生半な姿勢で読んではならないような気がしてきたのだ。巻末に収録された出久根達郎さんの解説を読みながら「まさに!」と感じたのだが、著者のしゃっきりした言葉つきは、私にないのだ。
 1959年1月から5月まで新聞連載されたこの随筆、昭和といっても私が生まれるずっと前に執筆された文章なのだから、時代の変遷とともに言葉が変化しているということもある。それと別に、随筆は小説と違って日常の言葉に近いせいなのか、私には馴染みのない言葉、まったく触れたことのない言葉がさらりと出てくる。

 はじめの一編「初日」、文章の流れに入り込もうとした途端、「これんぼっちもなかった」に目が戸惑った。意味合いがわからないわけではない。ただ、口語的に「これっぽっち」と口に上らせても、「これんぼっち」と書いたことも言ったこともない。東京の方言なのかな。
 出久根さんによると、「幸田さんの言葉」は「ごくごく限られた地域」の方言、すなわち「幸田家とその周辺で遣われる言葉」という。たしかにそれでは、西日本生まれの私はまったく縁がない。

 方言ではないけれど、「鉛筆がはにかむ」という表現も、目にした瞬間フリーズした。静謐な大人の随筆と思い込んで読み始めたにも関わらず、鉛筆を擬人化するような子どもっぽい表現が急に現れたようで、戸惑ったのだ。読み直すと決してそうではなく、著者なりの謙遜した表現と感じれた。
 いちいち引っかかりながら読むので、就寝前の読書としてはなかなか進まなかったけれど、そのうちに彼女の口ぶりが聞こえてきそうな文脈に慣れて、一編づつ読み進めた。

 そして出久根さんの解説の後、最後に「雀の追って書き」と題して収められていたのは、著者のお孫さんである青木奈緒さんの文章だった。お名前を目にした瞬間、ああ、と思った。奈緒さんだ、玉さんじゃないんだ。
 幸田文さんの著作の巻末にお礼の言葉を記されるのは、娘の青木玉さんだと、目次も確認しないで勝手に思い込んでいた。失礼ながら、世代交代されたのだろうなぁと想像した。

 学生時代、いわゆる“女流作家”を集中的に読んだ時期に、幸田文さんの小説を読んだ。「流れる」、「おとうと」、「きもの」、特に記憶に残るのは「黒い裾」という一編だ。潔い結末にはっとしたことを覚えている。
 その後きものに興味を持ち、一時はきもので生活することも試みた時期に、よく読んだのは青木玉さんの著作だった。ちょうど「小石川の家」がベストセラーとなり、メディアで何度か玉さんがお話になる姿を見た。
 「幸田文の箪笥の引き出し」は繰り返し、何度読んだことだろう。文さんとはまた異なる個性の、端正な文章で綴られたエピソードの一つ一つが心に響いた。また、衣紋掛けに掛けられたきものだけでなく、文さんのきものを玉さんがまとった写真も収められていた。私は玉さんの著作を通じて作家・幸田文を知った気がする。さらに玉さんの祖父、幸田露伴も。

 奈緒さんが綴る、玉さんの端正さを遺しつつ現代的なトーンを感じる文章を読みながら、「女三代」ということを考えていた。文筆家としては、幸田露伴から奈緒さんまで四世代ということになるのだろうが、女性の文筆家が三世代にわたってそれぞれに書き綴ってこられた系譜を考える。
 親子など、そうした作家のご家族は他にもある。文さんも玉さんも、否応なく筆(「雀の手帖」では文さんは鉛筆)を取り、書き始められたわけだけど、それがご一家の歴史はもとより、時代そのものを映していることに深い感慨がある。

 ずうっと前、私がまだ親元にいた頃のこと。
 母が話してくれたエピソードをもとに、祖母、母の越し方を書いたことがあった。文さんを書いた玉さんの随筆が念頭にあったわけではないけれど、折に触れて母から聞かされた思い出話には、私しか書けないことがある、と感じさせられていた。その文章に目を通してくださった亡き恩師が、「あやちゃんの、女三代の歴史だね」と、感想を寄せてくださったことを思い出した。
 そうだ。まだ書きたいことがある。そういうことを思い出した。
 ただ書き始めるには、本書を読み始めた時のような生半な気持ちでは臨めない。幸田家三代の女性の覚悟には、まだ遠く及ばないことを確認したような気がした。

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