最期の褒め言葉
夜半に降りしきった雨が上がり、窓の外に薄く朝日が差してきた頃、父が亡くなった。6年前、1月のことだった。
前夜、救急搬送された報を受け、慌ただしく駆けつけた病室で対面した父は、いつもの寝顔で横たわっていた。
「声をかけたら起きてきそうじゃろ? でも、もう起きんのんよ。」
弟が抑えた声で言うのを呆然と聞いた。
諦めきれず涙が溢れたが、父がこの世を去る瞬間を迎えることに、私もゆっくり覚悟を決めなくてはならないのだった。
夜が明けて、父は帰らぬ人となった。
その半月ほど前、年末に帰省した時のこと。
リビングで炬燵に当たりながら、くつろいでいた時だった。
父は前後の脈絡なく突然、孫である私の娘を褒めた。
「〇〇ちゃんはほんまにええ子じゃ」
そして、一緒に子育てをしている私の夫を讃えつつ、
「あやこは上手に子育てした。お父さんは、誇らしいんじゃ。〇〇を育てたのは、あやこなんじゃけぇ」
冗談ともつかない調子ながら、真顔で、そう私を褒めたのだった。
思い付きのような唐突な褒め言葉に、驚いてしまった私は、咄嗟に「ありがとう」と言ったものの、ぼんやりとしか答えられなかった。
年齢を重ね、母に手を焼かせながら、緩やかに「子ども」のようになっていった父。
思い返せば、不器用なりにいつも私を丸ごと認め、試練の時も黙って見守りながら、信じてくれていた。そして最期に手放しで褒めてくれた。失敗を重ねて、たくさん心配もかけた私を。
棺に納める段になって、後悔に胸が詰まった。あの時、もっと心を込めて、
「ありがとう。お父さんのおかげだよ」
と、言ってあげられたらよかったのに。
父の葬儀は、友引を挟んで1日日延べすることになっていた。
一緒に看取った弟が一旦帰宅し、私の家族が駆けつけるまで、父に付き添いながら母と2人きりで思い出話をする場面があった。
母は、最期に父が私を褒めてくれた、あの場面を覚えていた。
「覚えていてくれてありがとう。」
と言って、母は初めて声をあげて泣いた。
看取りの場面でも私や弟の身体を案じていた母、寝ずの番をしたのは同じなのに、大きく取り乱すことはなかった。
母が激しく泣くのを見たのは、その時が初めてだった。そして、父を失ったことを心の奥底から実感したのは、その時かもしれない。
嗚咽する母の背中を撫でながら、母のために、父の言葉を聞き逃さなくてよかったと思った。もちろん、私自身のためにも。
苦い後悔は自分で引き受けるしかないが、この世に生まれ、ここまで生き抜けたことを、いつまでも両親に感謝し続けよう。
そしてこの先、悔いを残さないように、大切な人に「ありがとう」を言い重ねられる私でいたい。
お父さん、ありがとう。