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「八月」が見せるもの
立秋とは名ばかり、まだ暑い日が続く。娘を伴って帰省し、久しぶりに家族で伯母を訪ねた。
出迎えてくれた伯母と従姉妹は、朝一番に墓の掃除に行ってきた、と言う。仏壇の横には祭壇を設える準備をしていた。御供えの品を差し上げ、揃って手を合わせた。私たちはこの後墓参する予定だった。
娘に、大学での生活の様子を尋ねてくださる伯母。その伯母の、日々の畑仕事のことも聞きながら、話題はそのうちに懐かしい伯父のこと、その弟である私の父のことになった。
5人兄弟のうちの、長男と次男。年齢もひと回り違ったから、似ていないようでいて、似ているところがあった2人。
伯母に「亡くなった者の悪口は言わない」と軽く嗜められながらも、やっぱりみんなで笑ってしまう思い出話になってしまう。初めて聞いた伯父にまつわるエピソードのうち、祖父の意外な一面を知って、これまたみんなで笑い転げた。
2人の兄弟は、もうこの世にいない。父は昨年末に七回忌、この秋に伯父の三回忌を迎える。
この場にいない2人のことを、こうしてありありと思い出しながら語り合えること、年月のせいかもしれないが感傷的でなく、みんなが笑顔になれる思い出話ができることは、とてもありがたいことなのだろうな、と感じた。
伯母を訪ねた後、ふと思い出したのは、万城目学さんの『八月の御所グラウンド』だった。
帰省の前に、たまたま読んでいた一冊だ。お盆を前に読むには、実はぴったりだったのかもしれない。
万城目学さんが描く不思議な物語を、これまで数々読んできた。一度読み始めると、あんまり夢中で“万城目ワールド”に読み耽ることになるので、少し遠ざけてみたりしたこともあったくらいだ。
ついに直木賞を受賞された『八月の御所グラウンド』は、あの世とこの世を繋ぐ不思議な瞬間を、万城目さんらしいユーモアある世界観の中に描いている。
そして最後は、ほんのり哀感が残る読後感で、これまた心に残る作品になった。
早くも軽い熱中症にかかり始めているのだろうか、あまりに強烈な日差しの圧を肌が感じ取れなくなっている、と空を見上げたとき、
「ああ、そうか」
とても簡単な、彼らが現れた答えにたどり着いた。
「みんな、野球がやりたかったんだ」
首のタオルを頭に巻こうと持っていく途中、不意にグラウンドを囲むフェンスのネット越しに、低い位置なれど、なだらかな機線を描いて構える大文字山を発見した。
青い空に白い雲が淡く浮かぶ下、山肌にへばりつくように広がる「大」の字を見て、明日は送り火じゃないか、いや、その前に今日は終戦の日だったと今ごろになって気がついた。(※)
平和なようでいて、現実の課題は山積する。不安感に眠れなくなったり、自分の拙い振る舞いに反省することも多い。心残りなく、満足して生きていたいと願うのに。
生きている今をどう受けとめ、自分はどうありたいか。
京都の、格別な暑さの中に見えた蜃気楼のようでいて、五山の送り火に立ち昇る灯火のように束の間、手触りのある確かな懐かしさ。
その束の間の最後に、主人公「朽木」の心に炎を一つ灯したように、心が確かな方へと動く物語だった。
※ 万城目学著『八月の御所グラウンド』収録「八月の御所グラウンド」より引用