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シン仮面ライダーでもやもやした人のために

昨日、『シン・仮面ライダー』を見てきた。
公開から数日経った現在、本作は(割りと批判的意見が多い意味で)賛否両論状態となっている。ここで気になったのは、『シン・仮面ライダー』を「好き」と思った人も、手放しで絶賛しているようには見えないことだ。率直に言うと、私は『シン・仮面ライダー』を「シンシリーズ」のなかで最も出来のよくない映画だと思ったのだが、やはり『シン・仮面ライダー』にはなにかしら肯定的な意見の人も含め「もやもや」するポイントがあったのだなと思う。以下、この記事ではそうした「もやもや」をなんとか言語化してみたいと思う。

(注意 とはいえ、基本的に否定的な意見のため見たくない方はブラウザバックを推奨します。)
(注意2 私は、『仮面ライダーシリーズ』に対して、原作漫画+子供のころみた平成ライダー以外ほとんどテレビシリーズを見ていない人間です。)

1.『キューティーハニー』(2004)を楽しめるか?

私が、『シン・仮面ライダー』を見終わった第一印象は、『キューティーハニー』を見たときの気持ちに近かった。(『キューティーハニー』を見たことがない方は、ぜひネットでポスターを見てみるとなんとなくわかると思います。)

『キューティーハニー』は、庵野秀明さんが2004年に実写映画として撮影した作品で、タイトルの通り永井豪原作のものを実写映画に撮った作品だ。この作品もシンライダー同様「特撮」要素が入っている作品だが、この作品ははっきりいっておもしろくない。(好きな人いたらごめんなさい)今でこそ、「庵野秀明」という作家は国民的なものとなっているが、おそらく「旧エヴァンゲリオンシリーズ」の終了と『シン・ゴジラ』のあいだには、大きな空白がある。『キューティーハニー』はまさにその間につくられた作品だが、やはりその期間庵野さんは大衆が「おもしろい」と思える作品をつくれなかったのだと思う。とはいえ、その間も一部のファンには受けていたという事実ももちろんある。

ここで私がなにが言いたいかというと、つまり『シン・仮面ライダー』は、国民的映画としてパッケージングされたものの、内実は一部のファンに受けるものだったがゆえに、そのズレが賛否両論という形で現れてしまった作品だということだ。

もし、いま映画を見る前の人は、『キューティーハニー』のポスターを見た期待値をもって、シンライダーを見るとよいと思います。

2.もやもや1 アクションシーンについて

では、具体的に「もやもや」したポイントについて考えたい。
先に結論を述べると、「CGの使い方(ひいてはアクションシーン)」に違和感があったように思う。

一般的に、仮面ライダーシリーズのアクションは、スーツアクターによる身体的なアクションバトルがひとつの売りになっている。例えば、初代仮面ライダーの成功のカギには、大野剣友会と呼ばれる殺陣集団によるアクションのすばらしさがあった。(詳しくは、ここでは述べないので参考までにhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E5%89%A3%E5%8F%8B%E4%BC%9A)
もちろん、現在では爆発や必殺技のエフェクトにCGを使用しているのだが、ヒーロー本人の動きという点に関しては、あくまでもスーツアクターの動きの美学が存在している。

だが、シンライダーで中盤以降の敵とのバトルで、動きそのものにCGを多用している。そして、それらがスーツアクションに比べて、かっこよくなかったように思うのだ。急いで付け加えるが、古きよきスーツアクションがすばらしく、CGはだめだというつもりは毛頭ない。

重要なのは、『シン・ゴジラ』で成功していたCGの扱い方がここではうまくできていないということだ。
(シンゴジラでは、ゴジラをCGによって表現しているが、ここではもともとゴジラの形をした着ぐるみに入って撮影していたもともとの特撮の継承として、あえて着ぐるみ感をCGで表現することによって成功している。)

ではなぜ、シンライダーではそれができなかったのか。それはやはり、本作が『キューティーハニー』の延長戦としてつくられているように思える。

当時『キューティーハニー』の特徴としてハニメーションと呼ばれる撮影技法が打ち出されていた。

ハニメーションとは、(以下wikipedia引用)
これは、あらかじめアニメ製作同様に作画されたカットにしたがって、1コマずつ役者に実際にポーズをとらせて撮影するという、実写スチールを使ってアニメーション化したものである。

つまり、ハニメーションとはアニメーション出身の庵野秀明さんが、アニメの経験を特撮に持ち込むことで、映像をつくろとしたものに他ならないのだが、はっきりいってこれが成功していないと私は思う。

特に、個人的には映画中盤、仮面ライダー1号と2号が工場地帯でバトルする場面が顕著にそう感じた。おそらく、あれがアニメの作画によるアクションバトルであったなら(例えば、ジャンプバトルマンガのような)、かっこよく見えたのだろうが、やはりそれが三次元空間になると違和感を感じずにはいられなかった。


3.もやもや2 ラスボスのシナリオ

そして、もう一つもやもやしたのが、物語終盤ラスボスのシナリオ展開だ。

以下少しネタバレになります。

ご覧の方はわかると通り、チョウオーグは「罪のない母親が殺されたこと」をきっかけに、「全人類から魂を抜き取り、ハビタット世界に送ること」を救済と考え、それを実行しようとする。

これは明らかに、エヴァンゲリオンのラスボス?碇ゲンドウと同じ構造をしている。
碇ゲンドウも同様に、「妻が死んだこと」をきっかえに、「全人類の肉体を消滅させ一つにする」という人類補完計画を考え、実行する。

仮面ライダーも碇シンジも、その計画を止めるためにラスボスと戦うことになるわけだが、結局のところそれは「戦って」勝利することよりも、戦いの中でラスボスが自身の行いの過ちに気づくことで終わりを迎える。
チョウオーグも結局は、妹の残したメッセージによっておのずと消えることになる。

このことから、私にとっては少なくとも後半の展開は、『シン・エヴァンゲリオン』後半の展開と重なってみえた。「さようならすべてのエヴァンゲリオン」というフレーズが多用されていた『シン・エヴァンゲリオン』だったが、(厳しい言い方になるが)こうしたことを踏まえると果たして、エヴァンゲリオンを本当にさよならできているのかと思ってしまった。

4.まとめ+シン仮面ライダーを楽しむために

以上、もやもやした点と評して、私的にはあまりよくなかった要素を2つ挙げました。勿論、仮面ライダーシリーズにほとんど思い入れがない私が見た感想なので、自分の説が100%正しいとは思っていないので「それは違うぞ」と思った方がいればぜひ教えてください。

とはいえ、私としてはとりあえず庵野さんには「シンシリーズ」を終わりにして、新しいアニメーションをできればシナリオを別に立ててつくってほしいというのが正直なところです


(シン仮面ライダーを楽しむために)
以下、おまけですが仮面ライダーをよく知らないけど、『シン・仮面ライダー』を見ようと思ってる人のために、アドバイスとして書きたいと思います。

今回の『シン・仮面ライダー』は、石ノ森章太郎の漫画版をかなり忠実に再現しようとしており、その点だけでいえばよい作品だと思います。
なので、石ノ森章太郎版『仮面ライダー』を読んでから見ることを強くおすすめします。

『仮面ライダーシリーズ』は、原作漫画、昭和特撮時代、平成初期、平成後期によってかなり作風が変わってきています。いま読んでいる皆様の年齢によって、「仮面ライダー」のイメージはかなり異なるということです。
今回のシンライダーは、原作漫画+昭和特撮のテイストをアップデートしたものなので、平成仮面ライダー的ななにかを期待しないことをおすすめします。そして、先に言ったように『キューティーハニー』を見せつけられるのだという意気込みで見に行くことで、違ったおもしろさを見出すことができると思います。

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