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3.11…あれから13年
表題の写真に映っている人は、僕だ。
現場は13年前の富岡駅前。
防護服を身にまとった僕は、直立不動をしている。
好きで直立不動をしている訳ではない。あの光景を見れば、誰だって身体が動かなくなるのだ。
全てを飲み込んで行った大津波…僕は黙とうすることも忘れ、見慣れたはずの富岡駅周辺を思い出そうとしていた。
だけど、思い出せなかった。
そして、僕は生き残った。
なぜだろう…。
まさか自分の頭上に、あの大震災が降りかかってくるとは、予想だにしなかった。とても怖くて苦しくて嫌悪感を覚え、生まれてきた事を悔やむくらい僕は追い込まれたし、そのあとも自問自答を続けた。
『神様はなぜ、僕の頭上に災難を落としたのか』
13年経過しても、まだ答えは見つかっていない。生き残ったからには、どこかに必ず答えがあるはずだ。その答えを見つけない限り、あの日の僕を迎えに行くことはできないだろう。
直立不動の状態から、僕はまだ脱却できていないのである。
だけど不思議なのだ。今こうして普通の日常生活が送れている事に…。
あれだけの体験をしたのだから、もっと質素に、貪欲に、謙虚に、時に切磋琢磨しながら、1日を生き延びた事に対して大いに感謝すべきだと思う。
だけど今の僕は、日々薄ぼんやり生きている中年男性に過ぎない。
つまり僕にとっての13年間という月日は、ただ単に現実逃避を続け、ただ単に老化し、何の成長もしていないという証左になってしまう恐れすらあるのだ。
ではどうすればいい?
どうすれば、僕は胸を張って生きて行く事ができるのだろうか。
一つあるとすれば、それは『生き残った意味を問わない』ことだ。
人は生まれれば、誰しも死を迎える運命にある。
生まれた意味を考えるから、生きることが苦しくなるのだ。
だから僕が生き残った理由を探すより、あの大震災と寄り添って生きて行くことで、風化させずにちゃんと後世に伝えていければ、僕の直立不動状態も少しは緩和させることができるかも知れない。
その為には身体を上下左右に揺らしながらほぐし、深呼吸を何度も繰り返しながら、ゆっくりと一歩を踏み出せば良いのだ。
焦る必要はない。これは自身との戦いなのだから。
きっと当時の僕は有頂天になっていたのだと思う。何の不自由もない、安定した生活で、享楽に耽って生きていたのだ。
その結果、時に人を傷つけ、強欲となり、感謝の念を忘れ続けた頃、神様から災難を落とされたのかも知れない。
むしろあの体験がなければ、今こうして記事を書いていることはなかった。そう考えると、それはそれで怖いけど………。
『神様はなぜ、僕の頭上に災難を落としたのか』
それは僕自身を戒め、今後の人生における『教訓』をお与えになったのだと、そう結論づけることにしました。
そうです。これでいいのです。
僕は玄関のドアを開けました。
晴天に向かって大きく伸びをします。
そのあと、身体を上下左右に揺らし始めました。
そして、深呼吸を繰り返します。
あの日、春の浜通りは寒かった。
だけど今いるこの場所は、とても暖かくて、春の匂いがします。
その暖かさを大切にしながら、最初の一歩を踏み出してみようと思います。
僕は足元に視線を落とすと、ゆっくりと左足を前に出しました。
13年ぶりに踏み出した一歩は、僕の想いを乗せながら、ゆっくりと大地を踏みました。
靴の底から、大地の硬さが伝わってきました。
しばらくすると、心底冷え切っていた僕の心が、徐々に暖かくなっていくのを感じます。
僕の心は雪解けを始めたのであります。
当時の記憶が蘇ってきます………あの時は本当に辛かった。
僕は目頭が熱くなるのを堪えます。
だけど、堪える必要がどこにあるでしょうか。
何も恥ずかしいことはない。
感情を抑えることも、もう必要ないのだから。
そして僕の想いは確かな熱量を持って、靴へと落ちていきました………。
【了】
【心よりご冥福をお祈り申し上げます】
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