「コントロール思考」から抜け出すと、人生がうまく回り出す。
「人生は苦である」
とは、お釈迦様の言葉だそうです。
ただ、「苦」と訳されていますが、苦しみと言うより、「思い通りにならない」と言うような意味が強いそうです。
そして、
この「苦」をもたらすのは、自分自身の内にある「執着」と「煩悩」であり、これをなくせば「苦」もなくせます。
例えば、若さに執着すると「老いる」事が苦しくなります。
健康に執着すると、「病気」を受け入れられず、「苦」と感じるようになります。
なので、
執着や煩悩をなくし、「すべてを受け入れる」事ができれば、それを「悟り」と言うそうです・・・・。
と、書いてきましたが、凡人の私には、遠い世界の話です。
ただ、よりよく生きるために、あるいは自分の今後の成長を考える時に、参考になることは多々ありました。
その一番の内容が
「特定の結果に執着することで、人生をコントロールしようとする」自分に気づくことです。
自分が望む結果を手に入れたいがために、他人を「コントロール」しようとしたり、自分の視野が狭くなったりしていました。
そして、努力や頑張ることを課しましたが、いつも「まだまだ」「もっとよくなるはず」と、満足できず苦しい思いが付きまといました。
逆に、「やってみてから修正する」「失敗から学ぶ」ことが怖くなり、なかなか動きだせなくなりました。結果、学びも小さく、狭くなりました。
自分と言っていますが、このコントロール、操作しようとしているのは「自我」になります。
自我は、「危険を察知して生き延びる」など、自分を守ろうとする働きがあり、必要なものですが、それが強すぎると、自分(自我)が望む通りにコントロールしないと不安になって、自分にも周りにも制限をかけすぎてしまいます。
自我を離れて、もっと大きな視点で見ると、自分が望むような結果を得られなかったことが、次の新しいステージにつながっている、自分の大きな幸せに結びついていたと感じることはたくさんあります。
例えば・・・
・第1志望校に合格しなかったけど、入学した学校で素晴らしい出会いに恵まれた
・パワハラ上司がいたことで、転職する覚悟ができた。転職したことで人生が開けた
・自分が好きで参加した読書会、掃除の会を続けていたら、ご縁に恵まれ、活動の幅が広がった。
・片頭痛に悩まされたが、そのおかげで、健康への意識が高まり、散歩や薬の付き合い方などの健康習慣の見直しができた。
上記の内容も、自分が望む結果にこだわって、とにかく自分が思い描くような結果を手に入れようと自分だけの努力で頑張り続けたら、、何とか望んだ結果は得られたかもしれませんが、逆に、それ以上の「偶然の良き出会いや人生展開」を手にできなかったかもしれません。
一見マイナスに見える出来事によって、大きな「プラス」な出来事がやってくるかもしれません。そこも「望んだ結果ではない」と「自我」の判断を入れてしまうと、人生の流れがストップしてしまいます。
目の前の結果を常にジャッジせずにいると、意外と
「うまくいっている」
「うまくできている」
「私の成長、学びにとって必要な事だった」
ということが見えてきます。
小林正観さんは、次のような言葉を遺されています。
・人に「喜ばれる存在として生きる」。
「喜ばれる存在」とは、「頼まれやすい人になる」ことです。
・自分で努力目標を立てて生きているより、頼まれごとだけの人生の方が、はるかにおもしろい、ということが分かりました。
・何かを手に入れるぞ、という考えをやめると、悩みや、苦しみはなくなります。
そして、
結果にこだわらない、執着しないための一番いい方法は、「今、ここ」に集中することです。
未来の事を心配したり、不安になったり、過去の事を後悔したり、罪悪感をもったりすると、「今、ここ」から離れてしまいます。
未来や過去に意識が「飛んで」しまわないように、目の前の事に「念を入れて生きる」ことをすると、うまく行くことが多くなっていくようです。
それは、自我の「コントロール思考」から抜け出している状態だからです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです