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オリンピックを見て考えたこと~もっともっとという競争の世界、自分の「100点」を決める世界     

 パリオリンピックが終了しました。
 全てではありませんが、眠たい目をこすりながら、けっこう、様々な競技の放送を見ていました。新しく種目に採用されたブレイキンを始め、自分が知らない競技も多数ありましたが、選手たちの動きや真剣勝負を見ているだけで、心熱くなりました。
 
 陸上競技、100m走。自分が子供のころは、10秒を切ることが、「人類の夢」とされ、誰がこの記録に到達するのか、心をわくわくさせてみていた気がします。
 しかし、今や10秒を切るのは当たり前で、9秒台の記録が出せないと世界レベルの競技会には出られません。
 では、今後、9秒台を切る選手は出てくるのか?
 あるいは、今後、7秒台まで行ける選手は出てくるのか?
 
 誰が一番になるかも気になりますが、観客の一人として、「もっと、もっと」、さらに上の記録を・・・と見てしまいました。
 
誰が記録を更新する(世界記録を出すか)かという見方です。

 でも、これは、いつまでも満足できない、きりがない世界です。
 世界新記録が出ても、また、次の記録更新を望んでしまうからです。
 
 一方、アーチェリーや射撃は、的に当てたら、そして、できるだけ数多く、真ん中に当てたら得点が高くなり、一番になります(相手に勝てます)。
 相手との駆け引きもあるようですが、一番の元は、これまで練習で培ってきた技術、技能を、その場、その場で的にぶつけ、得た点数で完結するとこです。
 
 この考え方は、これからの時代、生活の中でも大切ではないかと思いました。

「自分にとって何が100点かを決めて、その的に向かって自分らしく進んでいく(矢を放つ)」ことをすれば、「追いつき、追い越せ」「もっと、もっと」ときりのない競争から距離を置けます。

 

「人と比較しない」ことが、幸せになるための要の一つになります。

 もちろん、人と自分の違いを認識することで、自分らしさをつかむことはできますが、周りの評価基準に合わせる生き方ばかりになると、生きづらくなります。それはきりがないからです。

 また、他人の評価に振り回されるからです。
 そして、他人の評価はえてしていい加減、ころころと変わりやすいところがあるからです。
 いつまでも、もっと、もっとと満足できず、苦しみや悲しみの方が大きくなっていきやすくなります。
 
 それよりは、自分にとっての100点を決めるという「自分軸」で生きる、あるいは、自分軸の考え方を少しでも取り入れて生きられるようになると、楽になりますし、ゆとりが出てきます。
 
 成績や順位も大事だとは思いますが、

「最後、思い切り楽しみました」
「自分の持っている力をすべて出し切りました」
「楽しんでやろうと思いました~」

とコメントする選手たちの笑顔は清々しく、そして、結果も出ている人が多かった気がします。

 楽しめるのは、「自分にとっての100点」に向かって行ったり、どれだけ近づけるかを意識し、目標にしていたりするからだと思います。
 
 今回、オリンピックから発想したことを記事にしてみました。
 どの競技がいいとか悪いとか、記録や成績への批判ではありません。
 競技それぞれにドラマや感動があり、勇気や元気をもらいました。
 選手の皆さんへのリスペクトは変わりません。
 ありがとうございます。
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです

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