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小林正観さんに学ぶ「生きる目的」~人に喜ばれるために生きると、人生が開けていく 

 小林正観さんの本を読むようになって、15年が経過しました。
 「宇宙を味方にする方程式」「神さまに好かれる話」などのタイトルだけを見て、ちょっと「怪しい」のかなと思っていました。でも、読み始めると止まらなくなりました。それは、日常生活のあれこれの中から見つけた「法則」「共通項」等の紹介や、どうしてそうなるかの仕組みなどの説明が書かれていたからです。そして、「おもしろいなあ」と共感しながら読めたからです。
 正直、科学的なのかは分かりませんが、「現象としてあるものはある」ということで、いろいろとユニークで興味深い話が書かれていました。
 一例をあげると・・・
 
「掃除を続けると、お金や仕事の問題はなくなっていく」
「否定的な言葉をやめるとどんどんと健康になる」
「倒産する会社の庭や駐車場は必ず汚れている」
「人間には、喜ばれると嬉しいという本能がある」などなど。
 
 何より小林正観さんは、信じないと悪いことが起こるだとか、実践しないと不幸になるだとかいうスタンスではなく、おもしろがった人、興味がある人はやってみるといいですよ~という感じ。そして、それでうまく行ったり、いいことがあったら、よかったですね~で笑っている、そんなやわらかい感じで書かれていました。そこに一種の安心感がありました。
 また、そうやって紹介されている内容が海外の大学で認められ、「心理学博士」「教育学博士」「社会学博士」になりました。
2011年に亡くなられた後に、どんどんと本が売れていくという、本当に「不思議な」方です。
さて、今回のテーマは、

「人に喜ばれる生き方」

についてです。よかったら、お付き合いください。


1 喜ばれる存在とは

 小林正観さん自身は、初めは学生運動に参加し、社会を変革しようと頑張っていたそうです。しかし、闘って自分の思い通りにするという価値観で生きてきた中で、知的障害がある長女を授かり、「受け入れること」を学びました。
 そして、いつもニコニコ、誰かと競って、争って、勝とうとする概念が全くない娘さんの生き方から、闘う、努力し続けることで成果を出す価値観がぐらつき、最終的に大転換しました。
 そして、

その先に行きついたのが「人に喜ばれる存在になる」ことでした。

2 「喜ばれること=頼まれごとを引き受ける事」・自分の「役回り」が見えてくる

 では「人に喜ばれる生き方」とは、具体的にどうする事でしょうか?
 正観さんは、大きく2つのことを言っています。

・自分が明るく楽しく、ちょっとアホな太陽のような存在になること
・人からの「頼まれごと」を引き受けていくこと

 自分が明るく楽しい存在になるには、雨あられのように降ってくる現象に対して、いかに不平不満、文句を言わず、「嬉しい・楽しい・幸せ」を見つけるかが問われます。そして、さらに同じ現象に対して、いかに「ありがとう」と感謝できるか。
 現象は同じでも、いかにそういう見方ができるか、「訓練」させられるのかもしれません。
 
 正観さん自身は、達成目標や努力目標をもって一生懸命に自分のおしりをたたいて切磋琢磨する生き方と、頼まれごとだけの人生の両方を経験しています。
 その結果、 

自分で努力目標を立てて生きるより、頼まれごとだけの人生の方が、はるかにおもしろい

と言っています。さらに

頼まれごとが次から次へ来ている人は、それだけで人生が流れているということです。

 頼まれごとを笑顔でこなしていると、同じことを頼まれるようになる。
 同じことを3年間頼まれていると、「私はこういう人生なのかな」と思う瞬間が来る。これが「立命の瞬間」。きっと、その人の今生での「役回り」なのでしょう。
 
とも言っています。
 
 人にはテリトリーがあり、そういうことしなければならない立場の人は、自然にそういう、はめになるようです。その人が努力したわけでも、無理をしたわけでもないのに、ひとりでにそうする状況が生まれてくるそうです。
 
 なので、すべての事は必然で、一つでも欠けていたら、今、ここにはいません。

 ひょっとしたら、パワハラ上司がいて、会社を辞めたとしても、その人のおかげで、違う人生(自分の今生の役回りの流れ~別の職業、仕事、頼まれごとを引き受ける流れ)に入れたという見方もできるかもしれません。
だから、すべてのものが感謝の対象にもなります。
 (私自身は、まだまだ、そこまでの気持ちにはいきませんが・・・・)

3 喜ばれる生き方 実例

 人口3000人ぐらいの村での話。
 その村で、77歳くらいのおばあさんが亡くなりました。すると、村の半数である1500人ぐらいの人が葬儀に参列したとか。村長さんが亡くなっても700~800人の参列だったことを考えると異例な事態です。
 不思議に思った新聞記者が取材し、調べました。
 
 このおばあさんは、55歳まで小学校の先生をしていました。
 その後、民生委員のようなことはしても、後は特別なことをしていたわけではありませんでした。
 しかし、何十人と村の人を取材していくと分かってきたことがありました。
 
 それは、このおばあさんは、死ぬまで、自分の教え子の店でしか買い物をしなかったそうです。特別なことはそれだけでした。
 大型スーパーやディスカウントストアができても、2割ほど値段が高くても、教え子の店でしか買い物をしませんでした。それを亡くなるまで続けたようです。
 いつも、お店の人達から本当に心のこもった感謝の言葉、「ありがとうございます」を言われていたようです。

 ある意味、喜ばれるようにお金を使ったと言えます。「1円でも安ければいい」というわけではなく、いかに喜ばれるように使うか、自分が喜ばれる存在になるかが問われているみたいです。

もしお金がなくても、人を喜ばせられるものをみんな持っています。それが「和顔愛語」。

 江戸時代を生きた僧侶、良寛和尚さんは、自分の口から出る言葉は「相手に対する温かい贈り物でありたい」「力づけるものでありたい」と常に考え、「和顔愛語」を心がけて生きたそうです。
 和やかな顔と優しい言葉がけ。
 お金がなくても、人を喜ばせることはたくさんできそうですね。

 
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
 
 

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