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幸せは条件ではなく「技術」~「幸せの筋トレ」3選  

 お金があれば
 顔が良ければ
 素敵なパートナーさえいれば
 出世すれば
 ・・・
 きっと幸せになれるだろう
 
と思ってきました。

 目標を定めて、どんどんと手に入れて行きさえすれば、幸せになれると思い、時に我慢して、時に無理をして、時に、別のことをあきらめて、とにかく「幸せになりたい」と頑張っていた気がします。

 しかし、実際に、多少なりとも出世をし、おしゃれをし・・・と手に入れるものが増えても、幸せはそんな「条件を満たせば得られる」ものではないことに気づきました。

 出世しても、さらに上を目指さなければという強迫観念に襲われたり、お金や素敵なパートナーを手にできても、それを失う怖さに憶病になったり、結局、また、別の「幸せの条件」を追いかけ始めることになりました。
 
そこでハタと気付きました。
 
これじゃあ、内容が違うだけで、同じことの繰り返しじゃん!!
そう、

幸せとは条件ではなく、幸せに気づくことができる「技術」なんだ

と。
 
 技術であれば、習得できます。
 その技術を磨く、練習してうまくなれば、「幸せ上手」になれます。
 
 その技術の一つが、

「足りないものではなく、あるものに目を向ける事」

です。
 普段、当たり前と思っているような些細な事にも目を向けて、幸せを見つけることです。
 
・自分で育てた野菜を収穫、料理して食べる幸せ
・散歩しながら、季節の移ろいを感じる幸せ
・掃除をして、ピカピカになった様子から清々しい気持ちになれる幸せ
・仕事を通じて、人の役に立てた幸せ
・家族の成長を喜べる幸せ
・ぐっすりと眠れる幸せ・・・。
 
  私は、寝る前に日記を書いていますが、1日を振り返って、よかったこと、幸せを感じたことを5つ以上書くことを日課にしています。
 すると、5つ以上をすらすらかける時もありますが、2個ぐらいでペンが止まることもあります。

 しかし、そこでこそ、この「幸せを見つける練習・鍛錬」につながります。何か特別な事、心躍る事だけに幸せを見つけようとすると、なかなか書き出せません。むしろ、当たり前と持っていることに注目すると書けます。それは、当たり前と「自分が思っているだけ」で、本当は、経験できたこと自体、「奇跡」ともいえるからです。

例えば、病気や事故もなく、一日、平穏無事で過ごせたこと自体、幸せなことでもあります。
 3食、しっかりと食べられることだって、お風呂に入って体を温められる事だって、被災地の人達のことを思えば、いかに恵まれているかに気づけます。
 
 二つ目の技術は、

「失敗や不幸に感謝する」事です。

 できれば避けたいと思うのは人情ですが、人が生きている以上、思いもよらない「不幸」「失敗」「災難」にあうことは避けられません。でも考え方を変えれば、受け止め方も変わります。

 そうやって考えていくと、本当に何もかもうまくいかない、不幸な経験をしたとしても、「この程度ですんだ」とか「この失敗(不幸な経験)があったからこそ、自分の成長につながった」と見方を変えることで、「幸せの種」を見つけられます。見つけられるようになります。
 
 3つ目が、

「感情を冷静に見て、受け止める」事です。

 ヨーガの経典に「ヨーガ・スートラ」があります。
 物事の考え方や呼吸を始め、さまざまなことが記載されていますが、その目的は
 
肉体・精神・感覚をコントロールし、外側からの影響を受けないこと
 
と教えています。さらに
 
 ヨーガは考えを無理やり止めようとする事でも、何も考えないように無感動、無反応になる事でもありません。むしろ、考えに向き合い、その性質を知り、しっかりとらえること。そしてそれをうまく使える技術を身につけ、苦悩につながるような無駄な頭の騒音をしずめて、本当に考えるべきことを見据える事です(中略)
考えを上手に使えるようになること。それが心を収める、というヨーガの意味です。
 
とあるそうです。
 
 私は、ヨーガの経験はありません。
 しかし、言わんとしていることに、共感もし、そうだようなあと実感もしています。
 神の化身とされるクリシュナは
 
賢い人は、物事を好き・嫌いで判断することはありません。自分の元へやってくる物事に対して、何が起きても受け止めることができます。
 
と語っています。
 
 結局のところ、外の世界、出来事に振り回されている間は、幸せな気持ちになりにくいようです。
 あるいは、自分の中に沸き起こる気持ちを無理に押し込めたり、見て見ぬふりをしたり、逆にもろに受け止めて揺さぶられたりしても、自分を責めたり、疲れてしまったりして、同じく幸せな気持ちから程遠い状態になります。
 
 外側の出来事を自分でコントロールはできません。
 また、感情をなくすこともできませんし、なくしてしまったら生きているというより、死んでいることと変わらなくなります。
 できるとしたら、感情に振り回されずに自分を律することです。
 
 難しい事ではありますが、それは、ある意味、自分の人生を「クリエイト」するともいえます。なぜなら、自分が勝手につくり出してしまっている欲望や恐怖によって、本来、望んでいない行動をなくし、自分にとって本当に必要なこと、望んでいることに正面から向かっていけるからです。

 そして、

感情に振り回されず、自分でコントロールできるようになると、「幸せな状態」になれます。

それは、他人軸に沿った「~でなければいけない」「~すべき」から解放されて、「私は~したい」「私にとって~は心地いい」という自分軸に沿った状態でいられるからです。
 
 その第一歩が、まず、自分の今の気持ちに気づくこと。
 そして、その気持ちにあわせて、自分がどんな反応をしているかを観察すること。
 
 観察する中で、自分が本当は何を感じているのか、体の不調はどんな心の状態と関連しているのかを注意深く探り、日々の改善に生かしていけるようになります。それは、言い方を変えれば、一時の感情に心を支配されたり、流されたりしないで、自分のありたい姿で、幸せであり続けることができるようになるということでもあります。
 
 このように、「幸せになる」のではなく、「幸せである」ために、何をするか(手に入れるか)ではなく、

日々経験する出来事、自分の体調に合わせて、「自分がどう反応するか、何に注目するか」で、幸せになり、人生が変わることにもなります。


 トレーニングという意味では「幸せの筋トレ」ですね。
 
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
 
 
 
 
 
 

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