「人は変われるのか?」に対する解答
答えはYESだ。と僕はずっと思っている。
一方で、「20代を過ぎれば人は変われない」と主張する人も一定数いるとも認識している。(20代という基準は人によりけりだが)
先日、「人は変われるのか?」という問いに対する一種の見解を思いついたので、それについて書きたい。
その見解とは、「人は変われない」という人は、「過去に自分が違う選択をとっていたら、今よりもいい現在を過ごしていた」という可能性を否定したいから、だ。
「人は変われない」という主張は、実は、酸っぱい葡萄の寓話と本質的に同等なのではないか。
数学の有名な話として、モンティホール問題というものがある。
簡単に説明すると、あるテレビ番組にて「3つのドアがあり、そのうちの1つは高級車へと続いている。そのドアを選ぶことができれば、車は自分のものとなる。」という企画が行われていた。
挑戦者は1つのドアを選択するのだが、そこで司会者は残った2つのうち、ハズレのドアを開く。その後、挑戦者はドアを変える権利を与えられる。つまり、過去に自分が選んだドアと、残ったもう1つのドア、どちらかを選び直せるのだ。
詳しい説明は省くが、これは条件付き確率の問題であり、結果として、ドアを変えた方が高級車を得られる確率は2倍も高くなる。
確かに、短い時間で確率の計算まで行い、正しく選択をすることは難しいだろう(実際に、この問題は数学者を巻き込んだ大論争となった)
ここでは、理論的な話を抜きにして、この問いを前にした人間の心情について考えたい。
このテレビ番組では、(確率の上昇とは裏腹に)自分の選択を固辞する人が多かった。
誰しも、一度は自分が選んだドアが正解だったのに、選択を変えたことで間違えた、などという事態は避けたいものである。
僕は、「人は変われるのか」という問いは、この話と同じ構造なのではないかと思う。
上の繰り返しになるが、「過去に自分が違う選択をとっていたら、今よりもいい現在を過ごしていた」という可能性を否定したい。
「もしあの時に、恋人とちゃんと話し合っていれば」
「もし、もっと真剣に練習に打ち込んでいれば」
「もし、ずっと昔にタバコをやめていたら」
もっと幸せな未来を手にしていたかもしれない。
「どうせ話しても無駄だったよ」
「才能の前に凡人は無力だよ」
「俺には忍耐力がないんだよ」
「仕方ないさ。だって人は変われないんだから」
最後に
僕は「人は変われない」と思う人を批判するために、これを書いたのではない。
僕自身が「人はそう簡単には変われないよ」と呆れるほど自然に考えた瞬間があり、冷静になって考えてみた結果を今、ここで書いている。
しかし、これもまた、「人は変われる」と考えていた過去の自分を否定しないための自己弁護かもしれない。