Jリーグにおいて審判批判が、誰でもできるエンタメになりつつある。
無意識でも審判批判はできる。
VAR以降審判批判が加速しつつある。
これまでの目視とは違い、映像があるのだから判別は簡単であると人々は考えるのだろう。
そして、自分たちが映像を通してみるのと同じ視点でみているのに、なぜ見落とすのか分からないというような考え方になるのは必然である。
戦術は複雑化している
現在、ただサッカーをビールをのみ、大声を出し、何も考えないで見ているようなサッカーファンがSNSで戦術批判をしたらどうなるだろうか?
戦術自信ニキにコテンパンにやられるはずだ。
では、難しい判定やレフェリングについて批判した場合はどうだろうか?
判定自信ニキや元審判などに批判されることはあれどコテンパンにやられることはない。
なぜなら、サッカーの判定は故意か故意じゃないかど曖昧な物も多いし、触ったか、触ってないかなど単純に誰でも見てわかるものばかりである。
そのように考えると、複雑化したサッカー界において一番わかりやすいエンタメになりつつあるのが審判の判定であり、自分の好きなサッカーで自己顕示欲を満たすならこれ故ないコンテンツである。
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