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お経、全部詠む?

8月15日
終戦記念日であり、お盆最終日。


昨日は家の墓参りに、
今朝は母方の先祖の墓参りに、
お昼に黙祷を捧げ、
夕方には送り火で先祖を送る。

例年このスタンスなので、
厳かに祈りを捧げる気持ちを保ちつつ、
忙しなく動きまわる、
ちょっと
「どっちやねん!」なメンタルになる。
そんな日でもある。


わが家はわりと代々から続く
本家でもあるので、
子どもの頃からお経などは
きちんと正座で家族、新宅も揃って一緒に
般若心経~西国三十三番御詠歌~舎利礼文】
をしっかり全部あげていた。
1時間ちょいはかかる。
子どもにはちょっとした苦行だし、
大人でも脚が痺れる。
それでも続いていたのはおじいちゃんが
お経が上手できちんとお先達してくれていたからだったと思う。


おじいちゃんが亡くなり、
父がお先達をするようになってから、
お酒を飲みながら(不謹慎)ダラダラ唱え、
いつまでも進まず、
ただでさえ長い拘束時間が
余計に延びた。

そんなことをしていると、
新宅が来なくなった。
核家族化している昨今、
一緒に長時間過ごすのを
強要できないだろう。
特に子どもたちが思春期に入ると
お経を読むのも恥ずかしがったりする。
諸々鑑みてもその方が良いかなと
当時ですら思った。

家族だけになってもしばらくは
父のダラダラしたお経に付き合った。
家族だけになると
父のダラダラはエスカレートし、
喉を潤すと称した焼酎を小脇に抱え、
終いにベロベロになり、
何処を詠んでいるかわからなくなり、
「あぁ、もうやめた!」
と突然キレ、
仏前で寝始める始末だった。

それでも何年か家族はそれを続けた。
お経を全部あげるのがあたり前だと
思っていたし、
それなりに我慢が身についていたからだ。
固定観念ってすごいなと今では思う。

職場で同僚に長い読経について話すと
「今どきまだそんな丁寧なことしてる家あるんやなぁ!」
と驚かれたが、
「古い家ですから。」
とだけ言っておいた。
おじいちゃんの頃の丁寧さならば
鼻が高かったかもしれないが。

それは父が大病を患ったのちのお盆だった。
父は億劫になったのか、しんどかったのか、
「もうカセットテープでこらえてもらお。」
そう言って
お経のカセットテープを流し始めた。

初めてそれをした年には
信じられず唖然とし、
仏さんへの申し訳無さが勝ってしまい、
父抜きでなんとかかんとか
見様見真似のお経をあげた。

しかしそこからの夏はエアコンの無い仏間には
熱中症の危険を伴うようになってしまった。

年々、カセットテープが活躍するように
なっていってしまった。

そして今年、
またカセットテープで済まそうと
父が言うので、
わたしは
「テープかけてくるわ」
と仏間に行った。

仏間はムンと暑く、お線香の匂いも
くぐもった匂いだった。

悲しくなったので、
ひとりで般若心経だけでも、と
唱え始めた。
いつの間にか母も横にいてくれた。

唱え終わると
「おじいちゃん、おばあちゃん、喜んでるわ。」
母はそう言ってくれた。

別にみんなでしなきゃいけないとか
ないんだなぁ。
お盆3日間あるんだし、
できるときに唱えたい人がすれば
いいやん。
なんだぁ。
目から鱗な気分だった。

そりゃ、みんなで仲良くタイミングあうのなら、
それがいいかもしれないけど、
こだわる必要はないのかもしれないと
やっと思えた今年のお盆だった。

下手なお経だけど、
おじいちゃん、おばあちゃん、
聞いててくれたの?
全部ちゃんとあげなくてごめんやで。
追々、練習するから今年はごめん。
暑くてナスの精霊牛ヨレヨレやったね。
みんなちゃんと帰られたかなぁ。
お粗末様やったけど、ひととき
寛いでくれたかなぁ。


いつも見守っていてくれてありがとう。




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