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靴はキレイに

わたしは20代の頃、受付のお仕事をしていたことがある。 

勤めて数年経った頃には
わたしにも数人の後輩ができた。

その中のひとりに三浦(仮)がいた。
彼はわたしよりも5歳ほど若く、
後輩だったにも関わらず、
わたしよりも優位に立ちたい様で
話し方もやけにフレンドリー。
揚げ足を取られてはからかわれていた。
わたしも人見知りなので
そんなふうに接してくれる方が
話やすくもあった。


ある日、彼に言われた。
「天草さん。靴汚れてるっすよ。
おしゃれは足もとからでしょ〜。」
「え。」
見ると確かに靴は少し汚れていた。
「ちょっと忙しかったから気づかなかった。」

「天草さん、車のホイールキャップ汚いっしょ。」
「え。」
確かに洗車をしても、ホイールキャップって
あまり気にしていなかったかも。
「そうかもねぇ…。」

少しムカついてきた。
どうしてそんなことまで口うるさく
指摘されないといけないのかと。

「あのねぇ!」
「似合わないっす。」
「なにが?」
「天草さんに汚れた靴が似合わないっす。
靴が汚れてる女は詰めが甘いから。
ちゃんと仕事してるじゃないですか。
靴もキレイにしといてくださいよ。
ホイールキャップも靴と同じっすよ!」

なんだよそれ!
グゥの音もでないじゃないか!


こんな調子で三浦は
なんやかんやと絡んでは論破し、
グゥの音もだせなくなった先輩たちの顔を
見ることが好物のようだった。



ある時、三浦がいなり寿司を
みんなに配っていた。
「天草さんも、こっち!」
「どうしたん、これ。すごいね!」

三浦が配っていたいなり寿司は
油揚げが舟形に中身が見えるよう上を向いていて
豪華な具だくさんの酢飯が詰め込まれた、
それは美味しそうないなり寿司だった。
食いしん坊のわたしはよだれが出そうだった。

三浦はそれすら見抜いたように
「美味そうでしょ。美味いっすよ。
早く食べて!」
すでに食べていた同僚たちから
紙のお皿と割りばしがすばやく
差し出された。

「おいひぃ!」
口いっぱいにもぐもぐしながら
三浦に言う。
すっごいドヤ顔。
油揚げはジューシーに味つけがされていて、
酢飯も上品な酢加減にたくさんの具が
次々とアピールしてくる。
これまでに食べたことのない
絶品の美味しさだった。


「ごちそうさま。すごく美味しかったよ。」
「喜んでもらえてよかったっす。俺の母親が
皆さんにって持たせてくれたんです。」
「お母さん、めっちゃ料理上手だねぇ!」
「美味いっすよ。」
自慢げにニカッと笑った。
三浦の健康そうな体格の理由が
分かった気がした。

そしてお母さんのご飯を
恥ずかしがらずに持ってきた事にも、
味を褒められて謙遜しなかった事にも、
わたしには好感が持てた。
彼はお母さんを尊敬して
自慢に思っているんだと思った。


後に靴やホイールキャップの件も
お母さんの受け売りだったと知った。
彼のお母さんはかなり厳しくも
賢い女性だろうと思った。

「良いことは良い。悪いことは悪い。
それは先輩にでもちゃんと言えるような人でいたい。」
三浦は白黒つけたがったし、
相手が誰でも自分の意見を発言する。
そういう教えのようだった。

三浦は曲がったことがきらいで、
ちょっといい加減な先輩を
はっきりと嫌っていた。
それは態度にも出てしまっていた。
その先輩にはわたしも苦手意識を感じていたが、
なんとなくやり過ごすようにしていた。


そうしているうちに諸事情あって
わたしはその会社を退職した。



三浦とはそれっきりだったが
仲良くしていた同僚と数ヶ月後、
女子会をした時に驚きの事実を聞いた。


三浦はきらいだった先輩を
殴ってしまいクビになってしまった、と。


わたしは何を見たわけでもないが、
きっと三浦は許せない行為を見たんだろうな。
白黒つけたがった彼には許せなかったんだろう。
暴力は絶対いけない。
だから庇い立てはできないけれど、
お母さんの教えを大切にしていた三浦みたいな
若い人が悔しい思いをする社会って
どうなんだろう…。

後味の悪さがコーヒーの苦みを強くした。



わたしは今でも靴の汚れを気にする。
詰めが甘い女にならないために。




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